fall

a surfer on the road

大晦日のきょうは仕事が休みだったので、午前中は子どもたちをつれて小金井公園、午後は大掃除を手伝っていた。はしごをかけて高窓を外から拭いていたのだが、そのはしごがバランスを崩して横倒しになって3メートルくらいの高さから落下、腰と左ひじ、頭を打撲してしまった。あー痛かった。落ちるときはびっくりしたし、あせったが何もできなかった、情けない。横になってしばらく休んでいたけれど、左側の腰と左ひじが腫れてる。

ことしは新年早々オートバイで転倒して救急車に運ばれた。きょうも家族は心配して救急車を呼ぼうとしたけれど、それだけは止めた。自転車を購入してからというもの、例年に比べよく雨が降り、とくに私の勤務日には必ずといっていいほど降水確率が30パーセント以上ある。そして、きょうの落下。これじゃ元旦の自転車通勤はあきらめざるを得ない。あっ、そういえば昨日仕事からの帰り道に麹町警察署前でパンクしたなあ。寒風吹きすさぶ中、初のチューブ交換だったので30分くらいかかってしまった。おかげで再び走り出そうとしたとき、体はすっかり冷え切っていたのだ・・・見えざる何かがわたしに二輪車に乗るなと言っている。

Kanji

最近の長男のブームは漢字。毎日なにかしら新しい字を覚えては嬉々としている。怒られている最中でも右手は空中で書き順をなぞっていたりする、それでよけいに叱ったり・・・。吉祥寺でX-masコンサートを楽しんでから、帰りに小学生向け国語辞典(実母依頼)と「小学生のための漢字をおぼえる辞典」を購入。後者は五味太郎のイラストつきで、漢字のカタログといったところ。カブトムシのかわりに漢字が並んでいる。

food for life

おとといの夜、子どもと一緒に寝入ってしまい、起きてみると発熱しているのかモノすごい寒気に襲われた。ほとんど眠れず、やっとウトウトしてきたところでタイムリミット。起きるのがほんとうにつらかった。熱は下がっていたが、いったい何だったんだろう。3日連続で自転車通勤したのが原因なのだろうか(自転車熱?)。それとも、アミノバイタル・プロを飲んだせいか・・・?それともいま流行のノロ・ウィルス?発熱だけだったので、いまはもうなんともない。

岡部伊都子「伊都子の食卓」藤原書店、これも図書館の新着コーナーにあった。以前、世田谷図書館で全集のひとつを借り出したことがあったけど、あまり読まなかった気がする。著者のことを知ったのは松浦弥太郎さんのCOW BOOKSだった。名前だけチェックして図書館で借りた覚えあり。最近になって、あれっ名前なんだっけ・・・思い出したいのだけれど、出てこない・・・そんな状態が続いていたところに、新着コーナーに彼女の名前を発見したときは嬉しかった。ちゃんと読みたかったんだよなあ?という気持ちで読むと、どんどん入ってくる。「本に読み時あり」(by 池澤夏樹)とは、まさに至言。

しかしこの本、いまの私にはかろうじて理解できるけれど、あと何年かして若い人たちが手にしたとき、こりゃいったいどこ(いつ)の話だ、ということになりかねないんじゃなかろうか・・・と心配になる。タイトルどおり食事のことがメインではあるが、単に料理や素材について語られているわけではない。その素材がどんな風に自分の食卓までやってきたのか、そしてその素材にまつわる伊都子の思い出、人生に対する考え方、環境問題など、スルドイ視点というよりはごくごく真っ当な視点が織り込まれている。しかし、茂木健一郎の言う「スカな現代」にあって、この本に出てくるような日常的食文化は、実はどんどん失われて、もう2度と体験することができないところまでいっていると思う。そして、もっと大きな問題は多くの人がそのことに気づいていない、もしくは「分かっちゃいるけど止められない」ということかもしれない。

たとえば、岡部はすてきな食材が手に入って、それで拵えた料理を食すときに「よばれる」という表現をする。「他所様のご馳走におよばれ」という言い回しは、わたしの母や祖母も言っていたような気もするが、自分で作った料理に「よばれる」とはいったいどういうことだ?どうして「よばれる」のか、いったい誰が「よぶ」のか?

そんな小学生のような突っ込みは、この本の至るところで可能だが、彼女のそんな表現に「何か」を感じることができないなら、その時点でこの本を読むのは止めたほうがいい。かといって、たとえビンビン感じながら読み進めたとしても、現代都市で暮らす私たちが、利便性と引き換えに失ってきたものがどれだけ大きく、かけがえのないものなのかを思い知らされ愕然としてしまうだけなのだが。

きょうの職場ではLeon RussellとT-Bone Walkerを流しっぱなしにしていた。偶然ピックアップした2枚だが、繰り返し聴いても飽きのこない、逆に味わいの増してくる絶妙の組み合わせ。

Leon T-Bone

qualia

茂木健一郎がホストをつとめるNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」は比較的よく見ていて、印象に残る言葉がよく放送されている。先日は彼の最新刊「やわらか脳」が図書館の新着棚に並んでいたので読んでみた。以前にも何冊か読んだことがあって、それは雑誌の連載をまとめたものだったのに対して、これは本人のウェブログをまとめたものとのこと。

ちょっと意外な感じで、怒りまくっているケンモギがいる。現代のアートに対して、文学、社会に対して。それがけっこう面白い、痛快。八百屋での会話、近所の公園での発見など、どこにでもある状況に大いなる鉱脈の発端を見出す感覚が、彼の批判する「スカな現代」にマッチしているのだろう。彼の本を読むたびに小林秀雄の講演を聴いてみたくなる。

茂木健一郎 クオリア日記

Soapsuds

幼稚園ではこの時期、お母さんたちが集まって合唱を練習している。その課題曲、ハレルヤ!コーラスで知られるヘンデルのオラトリオ「メサイア」のCDを図書館で借りて来てくれ、とのリクエストにこたえるべく検索端末に向かったが、あいにくすべて貸し出し中。で、棚を眺めて、オーネット・コールマンとチャーリー・ヘイデンのデュオ「Soapsuds」、ペギー・リーの「貝がら」、ラムゼイ・ルイス・トリオの「The In Crowd」の3枚を借りる。

ラムゼイ・ルイスは、昔よく聴いたのにどうもピンとこなかった。でもオーネットはいい。買ってもいいなあと思い、アマゾンで調べるとなんと在庫切れ。ペギーはいつもどおり、超脱力系だ。

オーネットというと、大学のころ仲のよかったオサムくんを思い出す。ジャズ研のベース・プレーヤーだった彼は、でかいウッドベースを抱えながら汗だくで研究室にやってきて、よく音楽の話をした。といってもベース・プレーヤーかフリー・ジャズのことばかりだったが。その影響で当時はずいぶんチャーリー・ヘイデンとかドン・チェリーとかのCDを買った。当時もいまもお気に入りはエド・ブラックウェルとドン・チェリーが作った「El Corazon」というアルバム、素敵過ぎる。だが、オーネットに関してはなかなか食指が伸びなかった。そんなある夏、オーネットが来日するというので、よみうりランドイーストまで彼と一緒に見に行った。調べてみると1986年のことだったようだ。

残念ながらそのときの演奏についてはあまり覚えていない、サックスとヴァイオリンを持ち替えながら、いわゆるオーネット節全開だったと記憶しているが、定かでない。そのときの音楽よりずっと印象に残っているのが、オサムくんの言葉だった。会場近くを歩きながら、沈みゆく真っ赤な夕日を見て、彼は急に「夕日が赤いぜ」といって涙を流しはじめた。涙のわけを尋ねると、「アニキが死んじゃったんだ」と言う。

彼とはずいぶん親しいつもりだったけど、兄弟がいたとはそのとき初めて知った。オーネットの演奏と真っ赤な夕日が、彼の記憶に格納されていた兄とのさまざまな思い出を引き出したのだろうか。何でもないシーンなのだが、20年以上経ったいまでも忘れられない。

きょう借りたオーネットはテナーでやさしいメロディを静かに奏でている。わたしの持っていたオーネットのイメージとはちょっと違う印象で、すごくいい。食わず嫌いのリスナーに最初にお勧めしたいものだ。オサムくんは会うたびにオーネットのCDを薦めてくれたが、このCDのこともきっとふれていたに違いない。出会えてよかった。

pain in my leg

きょうの帰り道は冷たい風が強く、目がちゃんと明いていられないほど。一日中PCと向かい合っているせいで目も疲れているに違いない、シバシバするのだ。おかげでスピードをあげて走ることができない。この3日間で160キロを超える距離を自転車通勤した計算になる。初心者にはかなりの距離なので、足の疲れも相当残っていて一定のスピードをキープできない。あまりに目が使えないので、途中で止まって目薬をさす。走っているときは汗ばんでいるのに、止まると薄着なのでアッという間に体は冷えていってしまう。それでも上り坂でついついスパート、くだりで死角から出てきた無灯火自転車と接触しそうになり、急制動。またスピードを出すと、リアから小鳥のさえずりのような音が聞こえてくるのも気になる。

ヤワラちゃん、こと谷亮子選手が来春の体重別選手権大会で復帰することを表明していた。はて、彼女が子どもを生んだのはそんな昔ではないはずだが、小さな子どもの世話は誰がするのだろうか。そんなことをふと思った。はっきりいって柔道の大会に優勝するのよりずっと難しく、かつ有益だと思うのですよ、子育ては。たぶん優勝とか金メダルも相当難しいのだろうけど、幼い我が子と一緒に遊べる時間なんて実はそんなに長くないんだなあと最近とくに感じている。

夫はプロ野球選手だし、経済的に優勝賞金がどうしても必要とも思われない、子育てに集中するには絶好の環境にあると思われるのに本当にもったいない。一流アスリートがどうして良い母になれないわけがあろうか。かつて自らの妊娠を明らかにしたときに「おめでた」と表現した彼女が、再び畳の上で勝負する姿なんかより、子育てに集中している姿のほうがずっと興味あるし、かっこいいと思う。

Dog is God

逗子のイトウカイロで妻の治療を待つ間、山本容子の「犬は神様」。15分くらいで読み終わる小品で、すてきな装丁と銅版画が同時に楽しめる。著者がこれまで犬との共同生活を通じて感じ取ったさまざまなことがつづられているだけで、本当に何気ない文章なのだけれど、アーティストとして感受性のするどさが随所に表れている。中沢新一の本に出てきた「おしっこで手紙を書く」という表現がここでも。

犬を飼ってもう8年以上になるけれど、私にこんな本は作れない。

山本容子 「犬は神様」

kyogyu

kyogyu

昨夜は自由が丘「巨牛荘」にて昔のチームで再会。話すのと飲むのに夢中で、あまり食べた気がしない。飲んでばかりいたら、何年ぶりだろう、久しぶりに二日酔い。おかげできょうの午前中は仕事にならず・・・。夜には雨との予報だったこともあり、自転車通勤はオアズケ。こんなコンディションで乗ったら遭難してたかも。

license

sleeping_kai

免許更新のため朝から府中。中央線の踏み切りはこの時間本当に開かない、15分くらい待っでも開かないので、結局迂回、遠回りして到着したときは、8時半を回っていた。すでに印紙販売の窓口は長蛇の列、ただ思ったほど待つことなくスムーズに講習室No.23へ。5年と40日までさかのぼると駐車違反が1回あるために、ここで2時間講習を受けなければならないのだ。

受講者を飽きさせない工夫を凝らす教官のおかげで、それほど苦痛を感じずに済んだ。困ったのは交通事故で家族を失った人たちを取材したビデオ上映だった。3組の遺族を追ったオムニバスでおよそ20分くらい。

最初のケースがふたり兄弟の弟を失った家族で、途中からウルウル、肩を震わせて嗚咽するところまではいかないけれど、正直ハンカチを目から離すことができなかった。2組目は夫を失った妻と子だったので、何とか平静を保って見られた。そして、最後が妻と長女を失い、1歳くらいの男の子とともに残された夫。これも比較的見られたけれども、遺品の整理をしている途中で夫が突然嗚咽するシーンで再び撃沈、もらい泣きならぬ、もらい嗚咽しそうになった。免許更新の講習でこんなに泣かされるなんて、いままでなかったんだけどなあ。

帰りは亜細亜大学そばの珍珍亭で油そば(ネギ盛)。久しぶりに食べると妙においしい。

lost in transportation

paintedrey

小学校に通う長男は暑がりで、この寒い時期に上着を着るのを嫌がる。そして、忘れ物が多い彼は、脱いだ上着を学校に忘れて帰ってきてしまう。おかげで家にある上着が全て学校に置き去りにされてしまったことさえあった。それらは先日本人がまとめて無事自宅まで持ち運んできたのだが、とうとう昨日は着ていった上着を、帰り道に失くしてしまった。どうやら暑くて脱いだ上着を腕に抱えていたのが、気づかぬうちに腕から落ちてしまったらしい。帰り道をもう一度見に行かせたけれど、けっきょく見つからず。薄着して風邪引かれるのもいやだし、迷うところ。

きょうは休みだったので、妻の買い物につきあってスーパーに行ったところ、ビニールパック(小)に入った大根おろしを発見。