Kids are alright

When I paint my masterpiece.
創作の合間にTVを見る・・・世田谷の焼肉店にて

週末に子どもと「スパイ・キッズ3」を観た。もちろんDVDでだけれども、ロバート・ロドリゲスという監督は「マリアッチ」という極低バジェットの映画で有名になって、先日ジョニー・デップなど大物が出演した続編が公開されてましたが、面白いキャリアを歩んでます。子ども映画と思って敬遠している方には、だまされたと思ってみて欲しい逸品です。ある意味、深みがあります(笑)。ロドリゲス監督はマリアッチのあと、「デスペラード」、「フロム・ダスク・ティル・ドーン」など、スタイリッシュな作品を手がけてましたが、ターゲットの年齢をどんどん下げるように、「パラサイト」、そして「スパイ・キッズ」シリーズと没入していき、そのころから私はフォローしなくなりました。しかし、自分の子どもと一緒に映画を楽しめるようになるにつれ、「スパイ・キッズ」は劇場に足を運ぶところまではいかないものの、しっかりDVDでフォローするようになり、実は大人も楽しめることに気づきました。スティーブ・ブシェーミや、ジョージ・クルーニー、サルマ・ハエックといったロドリゲス映画の常連がちょっとずつ出ていたり、本人は分かって出演しているとは思えないほどの怪演を見せているシルベスタ・スタローンなど、ユーモアと風刺が実に楽しい。スタイリッシュな映画もステキなロドリゲスですが、子ども映画もステキです。

Fish

fish

先週末に魚を見に江ノ島へ行った。入場料は大人2000円也。おととし恐竜博へ行ったときにも感じた(大人2500円)けれども、こども連れの大人はもう少し安くするべきだろう。子どものためならいくら払ってもいいが、自分のためには倹約という人のほうが多いのではないか?たしかに施設も素晴らしいが。7年前に自分の手からえさを与えた南象アザラシのミナゾウ君が、ショーアップされた芸を見せていたのが感慨深かった。当時は寂れた水族館の片隅で生きてるのか死んでるのか分からないような感じで横たわっていたのに・・・。
四方田犬彦の「ハイスクール1968」を読了。当時の高校生はなんとハイブロウなのだろう。わたしもこんな世界に憧れていたし、20年くらいあとにはTVとかビデオとか、レンタルCDとか・・・同じように音楽、映画を見られる環境にあったはずだが、こんなインテリの高校生なんて想像できない。どんな時代でも大事なのは感受性なのだろう。ビートルズのホワイト・アルバムは私も中学生のときにカセットテープにて聴き倒したけど、レボルーション・ナンバー9は、いつも早送りしてたか、ほかの事をやっていたような気がする。セリーヌをもう一度借りてみようと思った。 🙂

きょう車で聴くMDを作ってたのだが、ザ・バンドの「ステージ・フライト」とザッパの「ホットラッツ」って同じ1970年リリースなのね。奇抜なMD1枚出来上がり。四方田さんがザッパのアブソルートリーフリーにも言及していたせいだろうか。久々にザッパのCDを聴いた。

The man without a past

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日曜洋画劇場では「続・猿の惑星」をやっていたようだが、妻は「猿に感情移入できない」と言ってた。でも「ニモ」には移入できそうだ。それはどんな違いなのだろうか?おそらく、「猿の惑星」に人間が出てこなかったら、もう少し移入できたかもしれない。というのも、「ニモ」に出てくる人間は顔がない、感情を持たないオブジェとして描かれているから。アキ・カウリスマキの「過去のない男」を見た。この映画が自分とどんな接点を持つのか、考えながら見た。面白かった。どうしてなのだろう?「パンチ・ドランク・ラブ」を見たときにも感じたけれど、映画という表現手段を使って、人間を描く方法はまだ残されているのだなあということ。見ている人に接点を探すことを示唆してくれる映画はすごいと思う。人は自分の周りを「つながり」を探して見まわしているのかもしれない。「過去のない男」には、いいセリフがたくさんあったけど、荷物も記憶も持たない浮浪者(といってもかなりキレイだ)が、恋人と別れるシーンがとくによかった。