
leomacgivena: Xユーザーの宮崎県日向市 サバイバルゲームフィールド 喜三郎!@公式さん:「84歳、ひ孫います」
私は、コスパがいい人間だと気づいた。
私は、コスパがいい人間だと気づいた。
ヘルニアの時、不自由だった
歩けない、友達と遊べない、動かないのであまりお腹も空かずご飯が美味しいという感覚もあまりない。
けど、今健康になって
どこへも行ける。誰にでも会える。行動できる。なんでもできる。
健康体になってすごく嬉しいのに、
なんだかつまらないと感じる。
この感情がとても不思議で
最近考えてた
絶対に心身は健康の方がいいに決まってる
そうなんだけど、
ヘルニアの時、
少し歩けたことが幸せと感じれた
コーヒー飲む楽しみが濃かった
お腹が空いた時に食べたものの味がいつもより鮮明に思えた
朝から晩まで、自分のこれからのやりたいことを考えて、体と向き合ってストレッチをしたり
ほぐしたり
親や祖父母と連絡とって電話もした。
いつもならこんな日常送らないけど
なんだかすっごい楽しかった
幸せってもしかしたら
何を持っているかより
今あるものをどう感じてるか、なのかな
woman というドラマの主人公が自分の子供に
言ってたセリフを思い出した
「あなたのパパは、幸せと思える心があったの」
なるほどなあ、と思った
私ははすごいコスパのいい人間だなあ
不健康になってもその小さい中から幸せを見つけることができてたし
日常を愛すことが何より幸せと感じる
何をしている時が幸せですか?って質問に戸惑ってた理由はこれか
何もしてない時が幸せなんだよな
休もう休もうと思って家にずっといても
脳が休まってないので1日を無駄にした感じがするし休んだ気がしない。
それなら、脳を空っぽにして友達とファミレスにいた方が休める時もある。
言葉に踊らされてはダメなんだな
幸せと休暇
言葉通りかと思ってたけど、裏がありすぎる
だとしたら私にとって
今の世の中は広すぎる
どこへでも行ける、何にでもなれる、どんな日常も過ごせる。
こんな選択肢があったら幸せなんて繊細な心を感じられるわけがない
だから旅行にも興味がない
新しい文化や世界に触れたって、自分は変わらないし変われない。
帰ってきて疲れて体調崩すんだろうなあと思う。
外を歩き回って買い物するのもめんどくさい
どう考えても家でネット通販してた方が楽だろ
手数料や送料くらい払ってやるよ、という気持ち
私は周りの目や自意識を向けすぎてたな
もっと小さい中で楽しんでいけばいいじゃんね
最近はそんなことを考えてました
よし、
夜はスーパーに行って手の込んだ料理でも作るか。
あ、洗濯物をしよう、柔軟剤変えたんだ
幸せだあ
Photo

中学の頃、国語の先生に一人、男女からモテていた先生がいた。女の先生である。だが、職員室から廊下を歩いてくる姿は、薄い藤色のカーディガンを羽織り、髪には小さな簪のようなピンを挿し、教室に入ると空気が少しだ…
中学の頃、国語の先生に一人、男女からモテていた先生がいた。女の先生である。だが、職員室から廊下を歩いてくる姿は、薄い藤色のカーディガンを羽織り、髪には小さな簪のようなピンを挿し、教室に入ると空気が少しだけ平安時代になる。男子の間では密かに古文アイドルと呼ばれていた。本人はそれを知っていたのか知らぬのか、教室に入るなり、にこりともせず、黒板に大きくこう書いた。
「推し 紫式部」
初回の授業である。
私は、この時点で少し危ない人が来たと思った。
先生は振り返り、真顔で言った。
「みなさん、紫式部はね、ただの昔の作家じゃありません。千年前に、人間のめんどくささを全部見抜いていた天才です」
クラスは笑った。
すると先生は、さらに目を輝かせて言った。
「私は紫式部の顔ファンではありません。文体ファンです」
やはり危ない人であった。古文というものは、本来、中学生にとって睡眠導入剤である。
「いとをかし」
「ありがたし」
「あはれなり」
黒板に書かれた瞬間、まぶたが自然と下りてくる。まるで平安の霧が教室にかかるのである。
だが、その先生は違った。
「いとをかしをとても趣があるって訳して終わる子、だめよ。それじゃ心が死んでる」
先生はチョークを置き、窓の外を見た。
「たとえばね、放課後の教室に西日が差していて、好きな人の机だけ少し光って見える。
誰にも言えないけど、なんか胸が変になる。その感じがいとをかしです」
その瞬間、古文が少しだけこちらを向いた。
次に先生は「いとあはれなり」と書いた。
「これはね、ただしみじみするじゃないの。
綺麗すぎて苦しい。
もう戻れないと分かっているのに、忘れられない。
そういう感情です」
そう言って、先生は源氏物語の一節を読んだ。
光源氏が誰かを愛し、誰かを傷つけ、自分でもどうにもならなくなる場面である。
「光源氏はイケメンだから偉いんじゃありません。むしろ、かなり面倒くさい男です」
女子が笑った。
男子も笑った。
すると先生は、少し声を落として言った。
「でもね、人間って、正しい人だけを好きになるわけじゃないでしょう?」
教室が、急に静かになった。
その一言で、源氏物語は教科書から抜け出した。
千年前の貴族の恋愛ではなく、今の教室にもある、好き、嫉妬、後悔、言えなかった言葉の話になった。
先生はよく、古文単語を現代の感情に置き換えた。
「つれなしは、冷たい、じゃ弱いわね。LINEを読んでるのに返事が来ない感じです」
クラスがざわついた。
「心もとなしは、不安。既読がつかない夜です」
男子が「わかる」と言った。
「おぼつかなしは、相手の気持ちが見えなくて苦しいこと。つまり、平安時代にも既読スルーはあったのよ。通知が遅かっただけ」
古文が急に、生き物になった。
助動詞の授業も異次元だった。
普通なら「き、けり、つ、ぬ、たり、り」と唱えて終わるところである。だが先生は、それを恋愛ドラマの時間軸に変えた。
「きは、自分が直接見た過去。つまり私は見たです。けりは、あとから気づいた過去。ああ、あの人は寂しかったのかという発見です」
先生は黒板にこう書いた。
花咲きき。
花咲きけり。
「上は、花が咲いたのを見た。下は、気づいたら花が咲いていた。たった一文字で、世界の見え方が変わるの」
そこで初めて古文の恐ろしさを知った。
古文とは、昔の言葉を暗記する科目ではない。
人間の心が、どの角度から過去を見ているかを読む科目だったのである。
ある日、先生は『枕草子』を持ってきた。
「春はあけぼの」
誰でも聞いたことのある一文である。
先生はそれを黒板に書くと、しばらく黙った。
「清少納言ってね、世界を見るのが上手すぎる人なの。今で言えば、日常の切り取りが異常にうまい投稿者です」
それを聞いて、クラスが少し前のめりになった。
「春は朝焼けがいい。夏は夜がいい。秋は夕暮れがいい。冬は早朝がいい。
これ、ただ季節を説明してるんじゃないの。世界のどこを見れば美しいか、教えてくれているの」
先生は窓を開けた。
冷たい風が入り、プリントが少し揺れた。
「みなさんもあるでしょう。帰り道の空が妙に綺麗だった日。雨上がりの匂い。
誰かの笑い声だけが廊下に残っている感じ。あれを見逃さない人が、文章を書く人です」
その日から、私は夕方の空を見るたびに、少しだけ清少納言を思い出すようになった。
ALT
ougatakenji: layer13: azazmen: gkojay: alchemist323: hkdmz: pirozhki: plasticdreams: yaruo: …
“スズメバチはいきなり襲ってくるのではなく、巣に一定の距離まだ近づいたら
まずは威嚇行動をしてくるので、その時点で、急に動いたりせずに
ゆっくりと後ずさりでもして巣から遠ざかる。とにかくゆっくりと。
そもそも、登山のベテランは、山や森に黒い服では行かない。
それでも襲いかかってき時は、憲法九条の精神で話し合えば大丈夫だ。”? ミニ速 日本船、海賊に襲われるもジグザグ航行するなどして逃げ切る…商船三井の自動車運搬船がソマリア沖で (via otsune)
gkojax-text: “4:以下、VIPPER速報がお送りします:2011/07/02(土) 07:46:04.54 ID:Y8QS8mIS0 昨日、家のじいちゃんが亡くなりました(TT)…
“4:以下、VIPPER速報がお送りします:2011/07/02(土) 07:46:04.54 ID:Y8QS8mIS0 昨日、家のじいちゃんが亡くなりました(TT) 病室で最後を見取るために家族全員がそろいました。 僕が「なにか最後に言いたいことない?」って聞いたら、じいちゃんが虫の息のように小さい声でこういいました。 「そそが観たい」と…(そそ)というのは女性のアソコの別名です。 僕は「じいちゃんスケベだったからな?」っと思いましたが、さすがに「えらいもん聞いてもうた」と思いました。 早速家族会議がその場ではじまり、皆口々に「どないしよ、どないしよ、看護婦さん?そら無理やわ」ってかんじで会議をしていたら、 兄の妻が、「私でよければ…」と言ってくれたので、皆悩んだ末「お願いします」と頼んだ。 後で聞いたところ、昔兄の借金をじいちゃんが立て替えてくれたその恩返しだったらしい。 兄嫁は「失礼します」とベットの爺の顔の上にオシッコ座りをしました。 2?3秒過ぎて、俺が「じいちゃん満足か?」って聞いたら、「そそやない、外や」って… じいちゃんごめんよ”
?
全国のマ●コの呼び方調べてみたんだがwwwwwwwwwwww|VIPPER速報◆ゆづか姫公認まとめブログ (via hikol)
中島らも
(via nwashy)
attrip:““ラジコン”から学んだこと そして、「なんであんなにうまく走れるんだろう?」とつぶさに観察していましたら、なにかノートをつけているんですね。「なんでラジコンでノートをつけなきゃいけないん…
““ラジコン”から学んだこと
そして、「なんであんなにうまく走れるんだろう?」とつぶさに観察していましたら、なにかノートをつけているんですね。「なんでラジコンでノートをつけなきゃいけないんだ?」と思ったんです。
「なに書いてるの?」と聞きましたら、「セッティングを書いてるんです。1回1回変えて走ってるんです」と。
ノートには、気温・湿度・路面温度・セッティング……いや、ラジコンといってもバカにしちゃダメなんです。実車と同じぐらいセッティング箇所があるんですね。スプリングも何百種類もあります。それを一つひとつ試して、こういう路面・こういう温度の時はどういうセッティングがいいかというのをノートに記していました。
ノートを取って、セッティングを覚えて、どんどん早くなってくる彼らを見た時に、私は当時1億円プレーヤーでしたが、「私、こんなに一生懸命に野球やってるかな」「1億円お金もらってるのに、このラジコンの子たちより一生懸命やってないかもしれない」と思いました。
当時の野球というのは、どちらかというと、実力主義。「今日は調子がいい。よし勝った!」「ダメだから今日はしょうがない」とか、「こいつはすごいから打った」「こいつはすごいから勝った」とか、そういうことが普通でしたけれど、もしかしたら、もっと自分のいいところをすり合わせたら、自分もさらによくなれるんじゃないかと思いました。
彼らが1回1回セッティングで煮詰めていって、細かいところを調整していくことによって、大きなタイムの進化があるというのを見て、私もピッチングもそうじゃないかなと。一つひとつなにかをプラスしていけば、もっともっとやれるんじゃないかということを思いました。
その時に出会うのが、鳥取のワールドウィングの小山(裕史)先生という方なんです。
初めて会った時に非常にびっくりしましたけれど、あの方は、目にカメラが入っているんじゃないか、コマ送りができるんじゃないかというぐらい、人間の動作を見る目が非常に優れていました。「なんでそんなに見えるんだろう?」と。おそらくわかっているからスローモーションに見えるんだろうなと思いました。
ちょうどラジコンでそういう気持ちになっていましたので、すぐ「先生、一緒にフォーム作っていきましょう」という話になりました。ですから、私は1996年から引退するまで、毎年新しいフォームにチャレンジしていました。
自分で「よし、これはいい」と思ったフォームは残して、また新しい課題を持ってどんどん積み重ねていった結果、50歳まで(フォーム作りは)続きました。そして40歳を超えてもスピードがアップして、42歳を超えた時に私の人生最高の143キロが出ました。
そう考えると、あの時ラジコンをしてる少年たちを馬鹿にしてたら、もしかしたら35歳ぐらいで引退していたのかなと思います。ラジコンに今は感謝しています。”



