KillBill

uma

ある評論家は「エルモア・レナード風のセリフ回しが減った」と書いているが、それどころではない。大盛況だった試写会で拝見したが、セリフらしいものは冒頭とラストくらい。しかし日本の雑誌では絶賛の嵐だ。「昭和歌謡大全集」と同じくらいリアリティが欠如してると思うんだけどなあ。まあ何をもってリアルとするかは人それぞれだが・・・少なくとも「夜と霧」の方が僕はリアリティを感じる。キルビル、昭和歌謡、心の動きが感じられない映画だよ。
ユマは最高だけどね。

Matsuri

matsuri

きょうは近所の神社のお祭りで神輿がでてました。怜(長男)はお祭りの雰囲気がことのほか気に入っているらしい。そわそわして、はしゃいでいた。しかし、デフレ・スパイラルの日本で縁日の屋台の値段だけは時代から取り残されたようにインフレ状態だった。ラインナップも価格も魅力に乏しいが、子どもにとってはそんなことはどうでもいいのだ。

Sports Meeting

kindergarden

きょうは怜さんの幼稚園で運動会。何だか久しぶりの感覚だった。海くんはその雰囲気に大興奮してはしゃぎまくった。小さなフィールドで小さな子どもたちが走り、跳び、投げ、運んだ。夜はあっという間に寝てしまった。

Ein Psycholog erlebt das Konzentrationslager

養老「バカの壁」の中に、エミール・フランクル「夜と霧」について書いている部分があったので、読んでみてびっくり。第二次世界大戦中のドイツ強制収容所での体験をつづったもの。これを読むと、いまの自分の暮らしが安穏として楽しみに満ちたものであることが分かる。人生が与えてくれる可能性を実現するために生きる、という考え方はなかなかすばらしい。「俺の人生なんて・・・」と嘆く前にこの本を読んだほうがいい。

Happy Birthday!

kai_birthday

時間がない。きょうは海くん1歳の誕生日なのに・・・
気管支炎でゼイゼイいっている。子どもは本当に弱い。
でも良かったね、祝1周年。

Though it was my second son’s 1st anniversary, still I’m busy.

ジョン・レノンも10月9日生まれ。
調べてみると、ミュージシャン多し。
Browne, Jackson – Oct 09, 1948
Entwistle, John – Oct 09, 1944
Harvey, PJ – Oct 09, 1969
Hendryx, Nona – Oct 09, 1944
Ibrahim, Abdullah – Oct 09, 1934
Lateef, Yusef – Oct 09, 1920
Lennon, John – Oct 09, 1940
Lennon, Sean – Oct 09, 1975
Valdes, Chucho – Oct 09, 1941
Wright, O.V. – Oct 09, 1939

Beer

beer

10月から新たな仕事を始めたせいで、すごく忙しく、宮古島のことがまったく書けないまま1週間以上経っている。まるで遠い昔のことのようだ。
It takes more than a week to blog about Miyako, Okinawa. Since Oct. I had started new but jaded job, and it made me busy extremely.

Slider

slider

やっと台風一過という感じ。今朝は早起きしてJazztronikの番組パッケージング作業。あまり天気がいいので、帰ってから怜さんと犬2匹の散歩、そのあと海くんと公園へ行く。

Too Old To Enjoy

field

英語に「Adultrate」という言葉があります。「アダルト」つまり大人ですから、「大人になる」という意味かと思ってましたが、正しくは「混ぜ物で・・・の品質を落とす」ということを知りました。ある意味、「大人になる」ということは、いろいろ混じりあって(経験して)純度が低くなること、と考えると奇妙にフィットする感じがしてきます。天才栗田くんから借りた片山恭一「世界の中心で、愛をさけぶ」を読みました。しかし、どうやら僕は愛をさけぶには、歳をとりすぎてしまったようです。この作品は多くの「若者たち」の共感を呼んでいるそうですが、残念ながら僕は共感できるところがほとんどなかったのです。読んでいる間、いつも頭の片隅にジョン・アーヴィングのことがちらつきました。というより2003年からJ.I.信者となった僕にとっては、現在すべての文芸作家がアーヴィングとの比較対象になってしまい、ほとんど勝ち目はありません。この症状がいつまで続くのか分かりませんが、大江健三郎ばかり読んでいた時期もあったので、これもいつかは過ぎてゆくのでしょう。そのときまた手にとってみたい。