food for life

おとといの夜、子どもと一緒に寝入ってしまい、起きてみると発熱しているのかモノすごい寒気に襲われた。ほとんど眠れず、やっとウトウトしてきたところでタイムリミット。起きるのがほんとうにつらかった。熱は下がっていたが、いったい何だったんだろう。3日連続で自転車通勤したのが原因なのだろうか(自転車熱?)。それとも、アミノバイタル・プロを飲んだせいか・・・?それともいま流行のノロ・ウィルス?発熱だけだったので、いまはもうなんともない。

岡部伊都子「伊都子の食卓」藤原書店、これも図書館の新着コーナーにあった。以前、世田谷図書館で全集のひとつを借り出したことがあったけど、あまり読まなかった気がする。著者のことを知ったのは松浦弥太郎さんのCOW BOOKSだった。名前だけチェックして図書館で借りた覚えあり。最近になって、あれっ名前なんだっけ・・・思い出したいのだけれど、出てこない・・・そんな状態が続いていたところに、新着コーナーに彼女の名前を発見したときは嬉しかった。ちゃんと読みたかったんだよなあ?という気持ちで読むと、どんどん入ってくる。「本に読み時あり」(by 池澤夏樹)とは、まさに至言。

しかしこの本、いまの私にはかろうじて理解できるけれど、あと何年かして若い人たちが手にしたとき、こりゃいったいどこ(いつ)の話だ、ということになりかねないんじゃなかろうか・・・と心配になる。タイトルどおり食事のことがメインではあるが、単に料理や素材について語られているわけではない。その素材がどんな風に自分の食卓までやってきたのか、そしてその素材にまつわる伊都子の思い出、人生に対する考え方、環境問題など、スルドイ視点というよりはごくごく真っ当な視点が織り込まれている。しかし、茂木健一郎の言う「スカな現代」にあって、この本に出てくるような日常的食文化は、実はどんどん失われて、もう2度と体験することができないところまでいっていると思う。そして、もっと大きな問題は多くの人がそのことに気づいていない、もしくは「分かっちゃいるけど止められない」ということかもしれない。

たとえば、岡部はすてきな食材が手に入って、それで拵えた料理を食すときに「よばれる」という表現をする。「他所様のご馳走におよばれ」という言い回しは、わたしの母や祖母も言っていたような気もするが、自分で作った料理に「よばれる」とはいったいどういうことだ?どうして「よばれる」のか、いったい誰が「よぶ」のか?

そんな小学生のような突っ込みは、この本の至るところで可能だが、彼女のそんな表現に「何か」を感じることができないなら、その時点でこの本を読むのは止めたほうがいい。かといって、たとえビンビン感じながら読み進めたとしても、現代都市で暮らす私たちが、利便性と引き換えに失ってきたものがどれだけ大きく、かけがえのないものなのかを思い知らされ愕然としてしまうだけなのだが。

きょうの職場ではLeon RussellとT-Bone Walkerを流しっぱなしにしていた。偶然ピックアップした2枚だが、繰り返し聴いても飽きのこない、逆に味わいの増してくる絶妙の組み合わせ。

Leon T-Bone

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