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相変わらず橋本治の「窯変 源氏物語」を読み続けている。ここ最近は「松風」。前にも書いたけど、ほんとに日本の社会、とくにセレブな世界では何百年も同じことやってることがよーく分かる。そして日本の芸能界みたいに、いったいこの人たちはどうやって食い扶持を稼いでるの?ってヒトばかり出てくる。昔の皇室は権力闘争の場であるから、かなりエグい。ただ、いまの皇室のクローズドさ加減に比べたらずっと開かれていて、それだけ才能のあるひとたちが集まっていたんじゃなかろうか。短い期間に次から次へと帝が交代するのも、ある意味健全。とくに外敵が近くにいない場合には。

光源氏は正式には皇室のメンバーではなく、ただの高級官僚だから、そういった交代には関係ないはずだけど、それでも政争に巻き込まれて須磨に飛ばされ、寂しくて泣いたりする。それまではずいぶんと達観した人物として描かれていたのに。それほど自分の持ってる官位をすべて剥奪されることは、たとえ荘園からの上がりがあって生活に不自由しなくても、死刑にも値するほどの仕打ちだったことがよく分かる。フィクションとはいえ、ステイタスがなければ人間じゃないみたいなのは、当時の常識だったのだ。そう考えると引きこもり、ニート、オタクなど、どんな人間にも何らかの肩書き、位階が考え出されてるのを眺めていると、文字通りそのひとの状態を表すStatusを与えているだけなのに、あいかわらず階級で差別することをやめられない社会に見えてくる。それがインドのカーストだと固定されていて、日本だと変動するというだけの違い。それとも人間という存在、社会の本質がそういう差別化にあると言われれば、あ、そうですか。というだけだが。