今月の夜勤は昨日で終了、オートバイ通勤だったこともあり、帰り道に宮田酒店にてニューボトル購入する。ここ2・3日で寒さがググっと増してきて、モーター付きの二輪車に乗るときにはウィンターグローブと革ジャンでちょうど良いくらい。
小池昌代の「ふしぎな木のぼり」という詩の一節。
一度でも 木にのぼったひとは
それ以降
のぼれるかという可能性を測ることなしに
木を眺めることは不可能になる
設定では40歳を過ぎて初めて木にのぼったことになっているから、おそらくそうかもしれないなあ。わたしが子どもの頃、家の近所の(昭和40年代になっても防空壕の址がまだ残っていた)小高い丘や、観行寺というお寺の境内には鬱蒼と樹が生えていて、そこいらの木によく登っていたのを思い出す。もう登らない日はないくらい、やたらめったら登ってたような気もする。思い出すと、その木にのぼれるかどうかよりも、どう登るかだけ考えてたんじゃないかな。登れない木なんて想像もつかない狭い世界に住んでたということかもしれないが。いまは、わたしが当時縄張りとしていた場所に比べ、登るのに適した木が少ないようにみえるのが残念だ。木のぼりって楽しかったなあ、機会があれば登りたい、とまでは思わないけど、自分の子どもたちがあの環境にいたらと想像すると、ちょっと戻って放り込んでみたいぞ。