a funeral hall

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近所に葬儀所の建設計画があって、近隣のひとたちはなぜか写真のような紅白の幕を張って反対している。先日は駅前で署名を集めていた。だれかがどこかで書いていたけれど、たしか坪内祐三か四方田犬彦、昔はよく新聞に死体の写真とか出ていて、もっと生活の中に「死」が転がっていたそうな、昔アップリンクの浅井隆も同じようなこと言ってた・・・いまは生き物をいただくのに「しめる」ことから始めるなんて、ほとんど皆無だろうし、ほとんどの人たちは「死肉」を食っているという意識はない。「死」は私たちの生活から遠ざけられて、隠される。人が生まれる瞬間に2度立ち会ったことがあるが、それはすごくハッピーな記憶で、しばらくは会う人みんな赤ん坊だったんだよなあ、と思って感慨に浸ったものだった。ところが、人生で肉親の死といえば婆ちゃんふたりだが、どちらも立ち会うことができなかった。別れは辛いものだとしても、いまのところ「息を引き取る瞬間」が「生まれる瞬間」と同じく貴重で大事な時間だと想像するしかない。

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