体が衰えるとともに、エアコンがいらなくなってきている。逆ではない。エアコンはひとりひとりの体に合わせて作られているわけではなく、メーカー側がもっともコストを低く、かつ利益が上がるように作ることがプライオリティだから、言ってみれば機械に人間が合わせている部分もある。年齢を重ねていくと、体が無理をしていたことに、ふと気づく瞬間があるのだ。不思議なのは、デパートなどの冷房完備の環境では、夏は長袖、冬は半袖みたいなところがあること、それが資本主義社会の豊かさを象徴するのかどうかは置いておくとして、せめて冬は外を歩く服装のまま快適に過ごせるようにできないのだろうか?僕がある時期に通いつめていた門前仲町の立ち飲み「大坂屋」(すでに廃業しているらしい)は、その意味で狭いけれども客にやさしいスペースだった。資本が集約され、投入される労働力が増え、巨大な利益を生み出すようになると、コストに見合わない、もしくは利益に結びつかないリクエストには対応しないというのは当然かもしれないけれど・・・。
Strangely to say, air conditioner has and will never become essential for me despite this hot summer. I think it’s partly because my body getting weak rather. Electric company making air-con not for mankind but its profit. They matter how much cost does it take to manufacturing a air conditioner. In a sense people make oneself change to fit to such equipments as air-con, automobile, PC (or I rather say Microsoft). Any option? Yes, but few. And my organs started to say some grievances, although no signs have never been showed.
BGM: A Christmas Gift For You / Phil Spector