103歳になってわかったこと

103歳になってわかったこと:

244blr:

人は、用だけを済ませて生きていくと、真実を見落としてしまいます。

真実は皮膜の間にある、という近松門左衛門の言葉のように、求めているところにはありません。

しかし、どこかにあります。

雑談や衝動買いなど、無駄なことを無駄だと思わないほうがいいと思っています。

無駄にこそ、次のなにかが兆(きざ)しています。

用を足しているときは、目的を遂行することに気をとられていますから、兆しには気がつかないものです。

無駄はとても大事です。

無駄が多くならなければ、だめです。

お金にしても、要るものだけを買っているのでは、お金は生きてきません。

安いから買っておこうというのとも違います。

無駄遣いというのは、値段が高い安いということではなく、なんとなく買ってしまう行為です。

なんでこんなものを買ってしまったのだろうと、ふと、あとで思ってしまうことです。

しかし、無駄はあとで生きてくることがあります。

私は、3万円だと思って買ったバッグが30万円だったことがありました。

ゼロを一つ見落としていたのです。

レジで値段を告げられて驚きましたが、いい買い物をしたと思っています。

何十年来とそのバッグを使っています。

そして、買ってしばらくしてから、そのバッグの会社オーナーが私の作品を居間に飾っていることを雑誌で知って、あらお互いさまね、と思いました。

時間でもお金でも、用だけをきっちり済ませる人生は、1+1=2の人生です。

無駄のある人生は、1+1を10にも20にもすることができます。

私の日々も、無駄の中にうずもれているようなものです。

毎日、毎日、紙を無駄にして描いています。

時間も無駄にしています。

しかし、それは無駄だったのではないかもしれません。

最初から完成形の絵なんて描けませんから、どの時間が無駄で、どの時間が無駄ではなかったのか、分けることはできません。

なにも意識せず無為にしていた時間が、生きているのかもしれません。

つまらないものを買ってしまった。

ああ無駄遣いをしてしまった。

そういうときは、私は後悔しないようにしています。

無駄はよくなる必然だと思っています。

http://ameblo.jp/hiroo117/より
もし仮に、無駄のまったくない人生を生きてきた人がいたとしたらどうだろう。

やることなすことすべてうまくいき、日の当たる場所や、近道だけを選び、効率的で全く無駄のなかった人生。

もしいたとすればの話だが、およそつまらない人間がそこに存在していることになる。

人は、寄り道をしたり、道草をくったり、どん底を味わったり、失敗や嫌な目に遭うという、人生の無駄を経験するからこそ、人としての味や深みが出る。

「人生の余白」ともいうべき、人としての遊びや余韻の魅力だ。

「無用の用」という老子の言葉がある。

一見すると役に立たないようなことが、実は大きな役割を果たしているということ。

無駄のある人生も、時にいいものだ。

nozacs: “ぶっちゃけた話をすれば、風味調味料の原料や安い削り節の原料となる大量生産型の荒節の製造家の 多くはクラウンやシーマに乗っていますが、仕上節製造家が乗っている車は軽トラックなんです。…

nozacs:

“ぶっちゃけた話をすれば、風味調味料の原料や安い削り節の原料となる大量生産型の荒節の製造家の 多くはクラウンやシーマに乗っていますが、仕上節製造家が乗っている車は軽トラックなんです。 ベンツまでとは言いませんが、仕上節製造家が少なくてもマーク?程度、欲を言えばクラウンに乗れる ようになれば、後継者を目指す者が増えるはずです。”

? 薩摩切・薩摩型本節|鰹節 伏高 (via nyama)

nozacs: “歴史界隈では「パンの焼き方は歴史に残らない」って言葉がある。その時代の人間にとって当たり前のことは、わざわざ書き残したりしないから、後世に伝わりにくいという意味だ。ほんの十年前は当た…

nozacs:

“歴史界隈では「パンの焼き方は歴史に残らない」って言葉がある。その時代の人間にとって当たり前のことは、わざわざ書き残したりしないから、後世に伝わりにくいという意味だ。ほんの十年前は当たり前だったことすら、今の子にはわからないからね”

? 迅鯨さんのツイート (via hutaba)

nozacs: “サッカー専用のスタジアムを行政が造るのは、非常にハードルが高いんですね。総合運動競技場のように、どうしても何にでも使えるようなものにしてしまう。…

nozacs:

“サッカー専用のスタジアムを行政が造るのは、非常にハードルが高いんですね。総合運動競技場のように、どうしても何にでも使えるようなものにしてしまう。 それに対してガンバ大阪のファンや協賛企業が、「絶対にサッカー専用でやりたい」と主張して、役所に何も言われないための最後の手段として、自分たちでおカネを集めてしまった。役所がカネを出して造るとロクでもないものができるので、民間がカネを出して造ったわけです。 ただ役所が最後にできるのが、その資産を引き受けて、「固定資産税を払わなくていいですよ」という施設にしてあげることです。”

? 日本のスタジアムやアリーナはしょぼすぎる | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 (via do-nothing)