Sept.

昨日は帰り道に少し降られたけれど、今月は通勤日はほぼ晴れ。けっきょく電車で行ったのは一日だけ。走行距離は9月だけで700キロを超えた。そんなジテツーをしてて気が付いたのは、信号のパターンが微妙に変わっていること。これは多分に最近実施されてる交通安全キャンペーンと関係しているのかもしれないが、いつも渡れるところが渡れなかったり、逆の場合があったり。前者の場合はビミョーに不愉快になる。たいしたことないけど、そんな不満が高じると事故につながることもある。あとは道路工事が多い。通常、期末とか年度末になると、これでもかってくらい集中して施工してるけど、なぜかこの9月。たしかに年度半期にあたるけれど、これまでは2月、3月に集中してた道路工事が今月に限って多すぎる。分散しようとしてるのか、それとも政権交代の影響なのか、真相は分からない。とにかく都心は走りにくい。

パワーズの「舞踏会へ向かう三人の農夫」を丁寧に読み直してる、やっぱりすごいや。

easy sunday

きょうは気持ちのよい一日だった。午前中、長男は早稲田までサッカー遠征だったので、次男と一緒に久々の釣堀、中島園。

椎名誠「わしらは怪しい雑魚釣り隊」が楽しい。毎回同じような話なのに、どうしてなのだろう。無性にキャンプに行って、タープをはって、その下で飲み食いしてマージャンをしたくなる。だけど、いまの私にすぐにできるのは釣堀に行く程度なので中島園というわけ。

午後は障子張りをしてから小金井公園。閉店間際の売店で枝豆付きビール。最近のビールは機械が注いでくれるのだな。とにかく冷えていてうまかった。それから次男のタイムトライアル計測係を務めるあいだケバブの売店でもう一杯ビール。天気はよく、湿度も低いので快適な公園だった。一方、次男は砂まみれ。下の写真は昨日の試合。次男は残念ながらノーゴールに終わった。

Kai
Kai

あすは自転車通勤なのだ。
これまでの総走行距離: 12,695km

the way of fun

もうスポーツニュースはイチロー絶賛の嵐だ。9年連続200本安打で大リーグ記録を更新したのは、ホントすごいと思う。日本の報道を見ていると、その心技体は超一流と呼ばれるにふさわしい、と感じられる。アメリカでのイチローの存在がどんなものなのか、私は知る由もないが。

一方、こんなにヒットを打つ選手がいるのに、所属球団のマリナーズはイチローの入団以降に限ってみれば、入団した2001年に地区優勝を1回しただけで、ワールドシリーズ進出はおろか、リーグ制覇もなし。たとえチームの総合力が低いとしても、天才と言われるバッターであれば、強豪チームからの引き合いとかありそうなものだが、移籍の噂さえ聞いたことがなく、マリナーズ一筋というのも理解に苦しむ。

またチームスポーツのメンバーへのインタビューでは所属チームの勝利をその第一目標に挙げるのがごく普通だが、どうもイチローには違う印象がある。これだけ特集番組などでいろいろ取り上げられて、毎年200本以上ヒットを打つことへのこだわり、たゆまぬ打撃技術革新、コンディション作りへの取り組みは伝わってくるが、マリナーズでワールドシリーズ制覇するんだ!といった勝利への執念みたいなものは、あまり感じられないのも変だ。

違うスポーツにたとえるのは筋違いかもしれないが、サッカーで言えばリフティング王みたいな存在なのかな、と考えた。本筋のゲーム、チームとの関係が希薄、もしくはほとんどない。どんなにリフティングが上手でもワールドカップには出られないし、欧州のクラブから声がかかることもない。確かにヒットを打つという技術は超一流かもしれないが、野球ってチームスポーツだよね?

日本でのあんまりな報道ぶりにちと文句つけてみたくなっただけ、子どもたちに夢を与えるという点では、彼がとても偉大な選手であることに異論はない。

shopping

きょうは買い物デーだった。午前中は次男のぼろぼろになった靴の代替品、そしてキツくなってしまったというサッカーシューズの代わりを買いに出かけた。靴の値段、とくに子ども靴についてはピンからキリまであって、通販だと100円くらいで買えるものもあるけど、そういうのはうちの次男の場合すぐに壊れてしまうので、きょうは普段使いのシューズは500円のものにしてみた。あーこれイイなと思うとだいたい4000円前後するんだよなあ。そういうのはきっと長持ちするんだろう、というかしてもらわないと困るが、そうすると今度は子どもの足が大きくなって履けなくなってしまったりする。

ことほど然様に、子どもたちの身に着けるものについては悩ましい。でも世の中うまくできていて、親戚から着れなくなった服をもらったり、家族からプレゼントされたり、実はあまり服を買わなくて済んでいたりする。ただ、靴はなかなかうまくいかない。サイズの合わなくなったという長男の友達からサッカーシューズをもらったこともあったけれど、服とは違ってそんなに頂戴する機会はない。それでも最近は通販とか廉価な靴を扱う場所が多いので助かってる。昔はどうしてたんだろう?

午後は雨が降って次男のサッカー練習が中止になったので、長男には練習をサボらせて吉祥寺にアニマルカイザーをやりに。このアーケード・ゲーム、アホらしくてスキ。人間同士が殴りあったり、モンスターと戦うのではなく、かぎりなく実在してそうな生き物たちが戦う。たとえばエイとタイガーが陸地で戦ったりする。そのハチャメチャな設定に加えて、繰り出される技がとにかくすごい。

「溶岩流」という技は文字通り相手を溶岩流で押し流すのだけれど、自分も危ないじゃんか・・・というような大技ばかり。まだ見たことないけど「地球切断」とか。そしてその大技にはどこかユーモアがあって、巨大なタコ焼きとか肉まん、ラーメンなどが落ちてきて相手をやっつけたりする。とにかく笑える。私と子ども二人で盛り上がってると、周りから変な目で見られてしまったりするほど。一般的にはそれほど流行ってないらしく、ゲーム機はいつ行っても空いている。

あと、子どもたちの間では何といってもベイブレードだ。吉祥寺のヨドバシでは品切れ状態で、自分のベイブレードを持ち込んで戦えるゲーム機の周りには小学生たちが輪になっていた。我が家のチビたちも祖母に買ってもらったのや、従兄弟からもらったりしていつの間にかコレクションを増殖させていて、そのゲーム機を見たときには一気に興奮が高まっているのが分かった。

DSとか携帯用のゲーム機に比べれば、まだ身体を使うし、要はベイゴマの進化したヤツだからオヤジにも分かりやすい。まあいいかという感じ。ちなみにわたしはベイゴマで友達と遊んだ記憶はないが、子どものころはけっこう練習して回せるようにはなっていた。初めてうまく回せたときの記憶、体験って貴重だなといまさら思う。練習を通じて肉体、運動神経に覚えさせる感覚。その点ベイブレードは初めてやる人でも簡単に回すことができるので、逆に物足りない。こういう部分まで平坦に垣根を低くする必要はないのに、そういう仕組みを作ってしまうのは、そのほうがたくさん売れるから。

ひとしきりゲームで盛り上がった後は、PCのUSB端子にくっつける扇風機を買いに同じヨドバシの地下へ降りていく。涼しくなったのになぜ扇風機?非力なCPUを使ってるせいで、負荷の多い作業をするとすぐにファンが大きな音を立ててうるさい。PCのすぐうしろにエアコンの送風口があるので、エアコンをつければしばらくして静かになるのだけれど、最近はすっかり涼しいので操作してる人間にエアコンは不要なのだ。

で、昨日ある場所でUSB扇風機をラップトップPCに向けてるのを見かけて、おーなるほど少しでもPC周りの空気を動かしておけば効果あるかも、と思ったしだい。ついでにマウスも新しくしてみた。もう10年くらい人からもらったのを使っていて、とくに不便は感じてなかったけれど、最近のはみんな無線だし、いちど試してみたかったのだ。んーすばらしい出来だコレ

代わりにといっては子どもたちに申し訳ないのだが、預かって持っていたアニマルカイザーのカードをホルダーごと失くしてしまった。けっこうな数のカードが集まってたのに残念。こんなことって久しぶり、というか今までない。どこに置き忘れたのか・・・忘れたころにどこかから出てきてくれないかなあ。

old story

このごろは涼しくなってずいぶん過ごしやすい。朝、犬の散歩をしていてお隣さんと偶然出会って「涼しくなりましたね」と挨拶され、寝ぼけて「よかったですね」とワケ分からん受け答えをしながら、しばらくしてひとり恥ずかしい思いしたりしてる。いろいろあるねー犬の散歩してても。今日は待ち時間があって、街頭のベンチで本を読んでいたけど心地よいばかり。1年中こんな気候だと採れる作物も変わるだろうし、それにつれて食べるものも変わる、きっと国民性も変わるに違いない。

Kai
Kai

日本の国民性を形作ってきた古典といえる作品を現代語訳したシリーズが河出文庫から出ている。三鷹駅前のベンチできょう読んでいたのは近松門左衛門の巻。「曽根崎心中」とか「冥途の飛脚」など、これまで名前だけは知っていたけど読んだことはなかった。だが、読み出すととまらない感じで、どことなく源氏物語と通ずるものがある。表現があからさまでないだけで、かなりエグい話ばっかりなところも。300年近く前に書かれているにもかかわらず、現代語訳のおかげで、すーっと読めてしまう。もちろん時おり挿入される謡の言葉には意味が分からず惑わされることもある、それでもストーリーを貫く感覚というのは、時代を超えて共通のものがあるのだろう、何から何までかけ離れた現代に生まれ育っていても、本質的なところ、人と人との関係、その間にある感情、愛情を理解し、共感することができる。そういった人間の本質的な部分を汲み出すことができた稀有な作家だからこそ、近松門左衛門は継承されてきたのだと納得した。翻訳者も含めホントすごい。

printed paper

きょうは5時に早起きしたら、腹が減ってしょうがない。きちんと朝食も食べたし、そのあともバナナやビスケットみたいなのを食べているのに。何だか食べても食べても空腹感がなくならない。どうなっちゃたんだろ。

図書館で借りている本の返却期限をウェブで調べたら、あらら本日までが3冊、ほかにも2,3日中に5冊要返却ではないか。世田谷と違って小金井は借りられる本の冊数に制限がなく、つい借りすぎてしまう。それにしても、まだ読み終わっていないものもたくさん残っている。図書館もいいけど、やっぱり本屋さん大好きなので、外出中に手持ちの本を読み終わってしまったりすると、電車の中で読むためについ買ってしまったりする。それが自転車通勤を続けていると極端に読書量が減る。自分が読書するのは、ほとんど電車の中なのね、と再確認。

total: 12469km

not my business

新聞の読み方がいつからか変わった。たまたま読売をとっているので、ほぼ毎日目を通していると「何だかなー」と思うことが最近多い。職場の近くのラーメン屋に置いてある産経はある意味読むたびに衝撃を受けるが、それとは違った意味であー保守的というのはこういう感覚なのかと思う。だいたい保守じゃないメディアなんて既存のマス・メディアにない。それが国としての成熟を表すのかどうか私は知らん。だいたい若いころはそんなことはよく分からないし、年をとったからといって、人を説得できるような説明ができるわけでもない。でも疑う気持ちだけは、しっかりと芽を出して幹を太くしてる。

ラジオの仕事をしていたころ、番組で読み上げる朝いちのニュースを並べるということもしてた。トップに何を持ってくるのかっていうのがその番組のスタンスを示すんだよ、みたいなことをプロデューサーに言われてたような気もするが、いまになってそう思って作り上げてる幻想なのかもしれない。私の場合はアホでポリシーなかったから、番組のカラー云々よりも、山葵みたいな事件をつまらん一般ニュースにいかに突っ込むかということに専念してた気がする。いまから考えるとけっこうな数の人が聴いてたわけだから、それなりに影響はあったのかもしれないのにね。

APとかロイターとか日本のメディアとは基本的なスタンスが違う。海外で中心に扱われているニュースが日本でも訴求するってことは、よほどのビッグニュースでないかぎりありえない。チャンピオンズ・リーグとかツール・ド・フランスがいかに欧州でステイタスがあるといっても、日本で扱われるのは中村俊輔が得点したとか、別府が敢闘賞もらったとか、そんなことがあったときだけ。それでもTVの一般ニュースで扱われる時間はたかが知れてる。すくなくともサッカーは世界的なスポーツビジネスになっているというのに。

そんなことを感じて憤慨してたこともあった。でも世界的なことなんてどうでもいいんだよね。要はビジネスとしてペイするかどうかが大事。別にそれは寂しいことではない。日本国内でビジネスとして成り立つスポーツがプロ野球だとしたら、メディアが中心に扱うのは当たり前だし、それで食べていける人の数とマーケットの規模がつりあってれば問題ない。しかし国際的にみて競技人口が恐ろしく限られてると思われるゴルフがオリンピック競技になるんだから、もうワケわかんないぜ。いったいどんな金が動いてるんだよ、なんて考えてしまう。

だから「今こそマルクスを読み返す」by廣松渉なのだーね。面白いよーこの本。興味深いのは人間を人間たらしめていることについて、池谷裕二が「進化しすぎた脳」で言ってることと、マルクスが言ってたことがほとんど同じってこと。最先端の脳科学とマルクスの考えがシンクロしてる。ホント同じ、言葉って大事なのよ。ただ、オレにはちと難し過ぎるので、ジェリー・ガルシアを聴くことにする。ジェリーがたどってきた足跡をたどることが、いろんな問題にとっての解決策だと思うんだけどなあ。ああ、オレはすっかりDead Headになってしまったのか。

re-route

自転車で車道を走るのは危険だ、と思ってた。でも本格的にロードバイクに乗るようになったら、あまりに歩道が走りにくいので車道のほうが楽に感じるようになった。舗装道路を走るために作られてる自転車なのだから車道のほうが走りやすいのは当たり前なのかもしれないけど、通行の多い歩道は老若やママチャリが混在していてキケンだし、何より段差や凸凹がこれほど多いとはロードに乗るようになって初めて分かった。

ここ何回か通勤ルートをこれまでの道からちょっと変えて走っている。いつもは五日市街道から井の頭通りに入り、井の頭線浜田山駅そばの細い分岐で左に曲がる狭い道を抜け、方南通りから新宿御苑脇、四ツ谷から半蔵門、お堀に沿って日本橋というルート。それを最近は井の頭通りをまっすぐ松原の交差点まで行って、甲州街道に入り、そのまま新宿に出てあとは同じコースで日本橋まで。車の量も多いけれど車線が多い分、自転車でもけっこう走りやすいのね、と思う。距離的にも28キロ台とほぼこれまでと変わらない。走りやすさでいえば、井の頭通りからそのまま甲州街道の方がいいかも。とくに夜間の帰り道はこっちのほうが平均速度が早いような気がする。

total: 12356km

in the park
in the park

きょうは、午前は子どもたちとボール蹴り、午後は立川まで映画を見に行った。映画は長男のリクエストで「ハリーポッターと謎のプリンス」。次男は「ボルト」が見たかったみたい。立川のシネマシティはWebで座席予約までできるのがいい。前売り券が使えないけど行列に並んだりしなくていいし、けっこういい席が確保されるから、その分だと思えばいい。飲み物も持ち込んだが、とくにお咎めなし。月一くらいで見に行ってもいいかなあと真剣に思った。是枝監督、ペ・ドゥナ主演の「空気人形」も上映予定みたいだし。これ、お気に入りの監督と女優による夢のコンビなのでけっこう期待してるんだ。

予告編ですでに2011年までシリーズの予定が組まれていることを知って驚いたハリーポッター映画。シリーズ最新作、「謎プリ」はつまらなくもないがおもしろくもない、ような気がする・・・。この中途半端な感想は、不覚にも途中で寝てしまい長男に起こされたことによる。最近の映画のシリーズもの、苦手なのだ。昔はスターウォーズ(最初の三部作ね、もちろん)、ダーティ・ハリー、ゴッドファーザー、バック・トゥ・ザ・フューチャーなど好きなものはいくつかあった。しかし、近頃はマトリックス、ロード・オブ・ザ・リングなど、大作といわれる作品のシリーズものには興味が持てなくなって、どーでもいいと思うようになった。あ、トイ・ストーリー、シュレックはよかったな。(そういえば宮崎駿はシリーズもの作らないのね、トトロ2とか)

今のところ、もうこれ以上みたくないシリーズものは「岡田ジャパン」。

Craque

倉敷保雄は私がもっとも好きなサッカー実況アナウンサーである。スタイルがユニークなので好き嫌いが分かれるかもしれないが、サッカー観戦愛好家で彼の悪口を言うひとはあまりいないと思う。そんなクラッキーの本、「続・実況席のサッカー論」。これまでもサッカー雑誌の連載などでその文章には触れる機会はあったが、これは同業者としては大先輩に当たる元NHKの山本アナ(モナではない)との対談。全編が会話体で構成されており、また一味違う、やはり彼の話し方が伝わってくるのがいい。

book cover
book cover
彼の実況のどこが好きかというと、とにかくTVを見てるひとの楽しみ方の幅を広げてくれるところだ。これは簡単なようで難しい。独断偏見かもしれないが、日本のスポーツ実況って、なぜかいまだにプロ野球の中継スタイルが基本になっていて、実況が興奮してうわずった喋りをしながら、どれだけ血迷った言い回しを垂れ流しても、咎め立てされない珍しい世界である。あれは観戦しているファンの楽しみ、興奮をアナウンサーが奪ってしまっていると思う。

もう1年前になるけれど、是枝和裕が北京オリンピックの報道について書いた言葉を引いておきましょう。【読売新聞 8/20, 2008】

伝え手が感動を口にし、涙を流した瞬間に、テレビの前の視聴者は逆に自らの目と耳をふさぐのだ、と。これは倫理ではなく、テクニックの問題である。

サッカー実況というと日本では比較的歴史の浅い世界だ。しかし93年のJリーグ創立、そして02年を経て、成熟のスピードは世界のどこよりも増している。変化の激しい世界でスタイルを確立してきた稀有な存在の二人は、そんなテクニックについて語ることはもちろんしない。それは当たり前、基本として身に着けていて、それを超えたところで自分たちに何ができるのか、文字通り真摯にサッカーというスポーツのことを考えていることが伝わってくるとてもいい本だ。

クラッキーの実況だとつまらない試合でも楽しく見ることができる。わたしには凡庸な形容しかできないが、それはテクニックがあるからじゃない、ハートがあるからだろう。

Together Through Life
Together Through Life
ハートといえば、このジイさん。ジェリー・ガルシアの相棒だったロバート・ハンターと一緒に曲作ってると読んだときからずっと欲しかった。ようやく中古センターにお目見えした。全編にアコーディオンが使われてて、しかも演奏がデイヴィッド・イダルゴ、悪かろうはずがない。このアルバムを聴きながら思ったのは、ボブ・ディランというのはもはや環境である、ということ。コンピューターでいえばOS、そしてずっとバージョンアップし続けてる。しかもLinuxよりずっと長い間。ホントすげーよ、なんなんだこのジイさん。