not my business

新聞の読み方がいつからか変わった。たまたま読売をとっているので、ほぼ毎日目を通していると「何だかなー」と思うことが最近多い。職場の近くのラーメン屋に置いてある産経はある意味読むたびに衝撃を受けるが、それとは違った意味であー保守的というのはこういう感覚なのかと思う。だいたい保守じゃないメディアなんて既存のマス・メディアにない。それが国としての成熟を表すのかどうか私は知らん。だいたい若いころはそんなことはよく分からないし、年をとったからといって、人を説得できるような説明ができるわけでもない。でも疑う気持ちだけは、しっかりと芽を出して幹を太くしてる。

ラジオの仕事をしていたころ、番組で読み上げる朝いちのニュースを並べるということもしてた。トップに何を持ってくるのかっていうのがその番組のスタンスを示すんだよ、みたいなことをプロデューサーに言われてたような気もするが、いまになってそう思って作り上げてる幻想なのかもしれない。私の場合はアホでポリシーなかったから、番組のカラー云々よりも、山葵みたいな事件をつまらん一般ニュースにいかに突っ込むかということに専念してた気がする。いまから考えるとけっこうな数の人が聴いてたわけだから、それなりに影響はあったのかもしれないのにね。

APとかロイターとか日本のメディアとは基本的なスタンスが違う。海外で中心に扱われているニュースが日本でも訴求するってことは、よほどのビッグニュースでないかぎりありえない。チャンピオンズ・リーグとかツール・ド・フランスがいかに欧州でステイタスがあるといっても、日本で扱われるのは中村俊輔が得点したとか、別府が敢闘賞もらったとか、そんなことがあったときだけ。それでもTVの一般ニュースで扱われる時間はたかが知れてる。すくなくともサッカーは世界的なスポーツビジネスになっているというのに。

そんなことを感じて憤慨してたこともあった。でも世界的なことなんてどうでもいいんだよね。要はビジネスとしてペイするかどうかが大事。別にそれは寂しいことではない。日本国内でビジネスとして成り立つスポーツがプロ野球だとしたら、メディアが中心に扱うのは当たり前だし、それで食べていける人の数とマーケットの規模がつりあってれば問題ない。しかし国際的にみて競技人口が恐ろしく限られてると思われるゴルフがオリンピック競技になるんだから、もうワケわかんないぜ。いったいどんな金が動いてるんだよ、なんて考えてしまう。

だから「今こそマルクスを読み返す」by廣松渉なのだーね。面白いよーこの本。興味深いのは人間を人間たらしめていることについて、池谷裕二が「進化しすぎた脳」で言ってることと、マルクスが言ってたことがほとんど同じってこと。最先端の脳科学とマルクスの考えがシンクロしてる。ホント同じ、言葉って大事なのよ。ただ、オレにはちと難し過ぎるので、ジェリー・ガルシアを聴くことにする。ジェリーがたどってきた足跡をたどることが、いろんな問題にとっての解決策だと思うんだけどなあ。ああ、オレはすっかりDead Headになってしまったのか。