Bad feeling

koganei_park

きょうは午前中、次男坊の入園に必要な健康診断を受けに、指定の加藤内科へ向かう。10時すこし過ぎた頃に到着したけれど、もう待合室は立っている人もいるほどの混雑ぶり。この医院、待合室が土足になっているアメリカンな場所だ。

受付にいるいちおう白衣の厚化粧おばさんは、いまは混んでいるので、30分ここで待つか、それとも1時間後にあらためて出直して来ればすぐに出来るという。いま受け付けしなくていいのか?と尋ねたところ必要ないとのこと。

べつに調子が悪くて来ているわけではないので、近所をぶらついて11時少し前にもどって、受付をした。しかし、15分たっても待合室の人数は一向に減らないし、次男坊はぐずって床に寝転がるし、たまらなくなった私は「まだ時間がかかるのか?」と受付の厚化粧に問いかけると、あと4組だと答えた。

ここでわたしははじめて腹が立ち、文句を言うことにした。

あなたは1時間後に来ればすぐに出来ると言ったから、言われたとおりにしたのに、あと4組とはどういうことか?どこがすぐなのか?去年、やはり次男坊と一緒にバイクのナンバーを取りに陸運局に行ったとき以来のブチ切れ。そんなわたしに対して厚化粧は、「それじゃ所定の用紙をお返ししますから」とひとこと。次男坊を鷲掴みにして、紙をひったくるようにして医院を後にした。

got his tonsil out

tonsil_out

先々週のことだが、次男が扁桃腺の切除手術を受けた。
まだ3歳になったばかりなのに、手術かよ・・・と思ったこともあったけれども、あまりに頻繁に発熱して苦しむさまを見てると、何とかしてあげたいという気持ちのほうが強かった。

術後に今回取り除いた扁桃腺を見せてもらったが、体の大きさに比べるとかなり大きい。なんでも大きさによって度数が決まっているらしく、彼の場合は「2度」とのこと。「3度」になると、左右両側から突出した扁桃腺が中央でくっついてしまっている状態を指すそうだ。また通常の手術は、切開した部分を縫い合わせるけれども、扁桃腺切除の場合は切ったままなので、新しい粘膜ができるまでの一ヶ月くらいは、人によっては食べ物が喉を通過する際に痛みがひどいと説明を受けた。

幸い次男の場合は痛みに対して鈍感なのか、それとも食欲が勝っているのか、おそらくその双方と思われるが、手術の翌日から普段よりは少ないものの、けっこう食べるのに驚いた。
そして、2日間の点滴が終わると、入院している意味があるのかと思われるほど元気になり、病室のベッドの上で飛び跳ねるいつもの次男に戻っていった。いいのか悪いのか・・・

そして、扁桃腺除去の効果はヨダレが減った、いびきがなくなったなど、といった面にあらわれているが、一番大きいのは気温が急に低くなると、以前はすぐに扁桃腺が腫れて熱を発していたのが、今回はそういったことが起きないというのが嬉しい。

それにしても、今回お世話になった国立成育医療センターというのは素晴らしいところだった。

One Down, One Up

本当に久々にCDを買った、ちょうど半年振り。前回は3枚だったのだけれど、すべてライブ盤。そして今回も奇しくもライブ演奏だ。車の中で初めてコルトレーンのライブ演奏を聴いた長男は、ひとこと「めちゃくちゃだね」。んー確かにめちゃくちゃに聴こえなくはないけれど、実は4人がそれぞれめちゃくちゃやって、ここまで統一感を作っているのは驚異的と言わざるを得ない。まさにタオの領域に達していると思う。混沌と統一。

1965年のNYでのライブはラジオ番組の一部として収録されたもので、途中にDJのアナウンスが入って、フェード・アウトしたりしている。ライナー・ノーツに載っている写真をみると、本当に狭いステージで、時代を感じさせるのだが、実際の音は40年前の演奏とは思えないほど、新鮮で楽しい、そして素晴らしい。

Birthday

jumping

ジョン・レノンが生きていたら、65歳となるけれど、うちの息子はまだ3歳だ。そして、祖父の一周忌の法要が営まれた。仕事から晩く帰宅したわたしは、仏壇の前で妻と共にしばし雑談した。

昨日は午前中からその息子と一緒に吉祥寺の丸井でケーキを買った。本当はもっと大きいサイズがよかったのだけれど、駅ビル「ロンロン」を探しても、好みのケーキが見つからず、駐車料金が浮くとの見込みから、丸井で買った。しかし、ケーキの代金は2400円、一方、駐車料金無料サービスは3,000円以上お買い上げから。結局、時間もなかったので、そのまま700円の駐車代を払い帰った。

Woodstock

woodstock

最近もDVDがアメリカで再発されていますが、ジミ・ヘンドリックスのウッドストックでのプレイは本当に素晴らしいので、機会があったら一度見ることをオススメします。

先日、NHK/BSでCharを中心に鮎川誠、山岸ジュンシらギターの名手を集めたライブが放送されていて、その中でジミヘンがライブでは必ずオープニングで演奏していた「Fire」のカバー・バージョンを聴くことができました。演奏自体は非常にクオリティが高く、相当うまいのだが、当然のことながら本物の方が全然いい。それは転びそうなドラムとか、つんのめるベースとか、プレーヤーの気持ちが音楽として表現されて、味があるとでも言ったらいいのだろうか。テレビを見ながら思ったのは、ジミヘンが好きで好きでたまらない人が、ジミヘンに近い演奏をしようとすればするほど、聴いているひとにとっては、当の演奏から気持ちはどんどん離れて、ジミヘンの演奏を求める気持ちが強くなるんじゃないかということでした。

私が好きなギタリストにジェリー・ガルシアという、もう10年前に亡くなってしまった人がいるんだけれども、彼は生前よく他人の曲をカバーしてました。そのどれにもジェリー印がついており、それはそれで楽しめるバージョンになっていて、ボブ・ディランの「悲しみは果てなく」とか、彼のバージョンを聴いて、オリジナルを好きになった曲もたくさんありました。

これはもうアーティストとしてのスタイルの違い、まあ日本のギタリストをジェリー・ガルシアと比べること自体が無理なのかもしれないけど、清志郎がモンキーズをカバーしたのは良かったし、別に洋の東西を問わず、やはり姿勢の問題なのだと思う。

まあ、前述のHNKで放送していたライブはお祭りなので、そう硬いこと言わず盛り上がりましょう!という企画なんだろうけれど、その後、フジテレビで坂崎幸之助がメインとなって日本のフォーク+ニュー・ミュージックの名曲をカバーするというライブ番組はなかなか惹きこまれましたねえ。どうせやるなら、あなたにしかできない演奏を・・・という気持ちがあるかどうか。要はそのへんのことなのかもしれません。

さて60年代多くのアーティストが住み、世界で一番有名な音楽祭が開かれた場所も、最近では「肉の名所」として小金井市近郊の店の名前に使われるまでになりました(上の写真参照)。しかし、「肉の名所」ってすごい、確かにおいしかったけど 🙂

Here, My Dear

kai

よく世に出ている「ベスト・アルバム」なるものを、たまに自分で考えてみることがあるけれども、そんなにずれていないと思う。たとえば、ボブ・ディランとかローリング・ストーンズだとかのアルバムだったり、グレイトフル・デッドの1枚だったりすることもあるけど、たとえばそれらは「ローリング・ストーン」誌の選ぶオール・タイム・ベスト500枚の中にはたいがい含まれる。事実、今回自分で本当に気に入っているんだなあと思ったマービン・ゲイの「Here, My Dear」にしても462位にランクインしている。はたして、300位と400位の違いは何なのかよく分からないけれど、もうこのへんまでくると、知っている人がまわりにあまりいなくなってくることは確かだ。

私がこのアルバムを知ったきっかけは、ある音楽雑誌に掲載されていた記事だ。それはマービン特集号で、すべてのオリジナル・アルバムについて日本の音楽記者、評論家(?)たちが書く個性的なレビューを読むことができた。その中でこのアルバムについてはミュージック・マガジン誌のコラム「じゃずじゃ」マーク・ラパポート氏が書いていたと思う。その中で自分の最も好きなマービンのアルバムがこのアルバムであることを強調していた。94年に初めてCD化されたらしいが、自分もやっとこの盤を聴くことができたのが当時とても嬉しく、憧れの人にようやく会えた気持ちとでも言ったらいいのだろうか、もう毎日のように聴いた記憶がある。

とはいえ、マービン自身の離婚をネタにドロドロ愛憎劇の大作、しかもライト・モチーフのように繰り返し演奏されるフレーズが全体を統一しているため、どの曲が好きとかいうよりも、全体として好きか、嫌いかのアルバムにならざるを得ない。嫌いな人にとっては、何だかよく分からん、だらだらと長くて、しまりのない作品でしかないだろう。

それにしても私はこのアルバムがことのほか気に入っている。いまでもたまに取り出して聴く。What’s Going OnでもなくI Want You、Let’s Get It Onでもなく、このアルバムが一番好きなのは、負の情念をここまで美しい音楽に転化させたマービンの才能が悲しく、素敵だと思うから。

Here, My Dear – All Music Guide entry

HDD

kai

久しぶりに秋葉原へ行った。週末にしては人が少なかったなあ。それにしても技術の進歩はすごく早いので、10年前は本当によく足を運んでいて、店頭に並んでいるPCのパーツは大体把握していたけど、最近はすっかりどうでもよくなっているので、数万円するグラフィック・カードとか見ても全然欲しいとは思わない。だいたいこんな高いカードなんて、少なくとも私の作業にはまったく必要ない。

しかし、ハード・ディスクは欲しいと思った。

いまはほとんどCDを買わない、というか買えないので、もっぱらetree.orgに頼っている。で、あれもこれもとDLしていると、あっという間にHDDは一杯になってしまう。最近のお気に入りはSkerik、70年代のArchie Sheppみたいで本当にワクワクする音楽をやってる。しかし、一方でとりあえずDLしたはいいけれど中々聴く時間がない、そんな音源がたまっていく。

中田英寿がセリエAに行った年にCS放送を導入して、最初のうちはどんな試合だろうが、何でもかんでも録画して見まくっていたが、いつしか見ないまま蓄積されていく試合が増えていったのを思い出した。いまは、よっぽどのことがない限り録画することはない。いつごろからか、そのときに見られなければあきらめることにした。

いまは何でもオン・デマンドで提供される世の中になりつつあるが、小さいころはビデオもなく、見たい番組というのは、その時間にテレビの前にいない限り見られないものだった。映画が好きだったから、CMが入ろうが、途中がカットされていようが、けっこう集中して見ていたと思う。サッカーに関する限り、わたしは今そのときと同じ気持ちで放送を見ている。見逃している試合も多いけれど、それはしょうがない。すべての試合を見ることなど不可能だから。

しかし、このHDDの安さはかなり魅力的だ。
80GBが6,000円・・・

iPodも魅力的だが、たかだか30とか40GBに数万円払っても、バイクや電車での通勤時間なんか長くて1時間だから、コスト・パフォーマンスはそんなに高くない、しかもリムーバブルじゃあない。いくらたくさん入るとはいえ、有限だから、一杯になったら終わり、どれか消さなきゃいけないわけだ。仕事先にはオーディオあるから、CDRで十分だし、だいたい人間の集中力が持続する時間なんて限られている、CDR一枚くらいがちょうどいいのだ。というわけで、わたいの場合、安くて質の高いHDDとCDRがあれば事足りるという結論に達し、とりあえず2,039円で太陽誘電のCDR50枚を購入した。

Black Ant

ant

弟は最近、絵本「あかいありとくろいあり」にはまっている影響か、公園でアリを捕まえて興奮しながら持ってきた。30年以上前に発行されたこの絵本、くろいありが酔って「あーこりゃこりゃ」とか、悪ぶっている感じがヌケてて妙におかしい。

同じときに借りた宮澤賢治の「注文の多い料理店」は不評なのだ。素敵な本なんだけれども、子どもにフィットしないのは、小難しい感じがするからなのかなあ。

Little Richard

littlerichard

1969年にカナダ・トロントで行なわれた「トロント・ピース・フェスティバル」もしくは「Toronto Rock and Roll Revival Festival」という伝説的なコンサートがあったらしい。ジョン・レノンをロックのオリジネイターが囲むようなコンサートだったようだが、詳細は分からない。そのときのリトル・リチャードのDVDを久しぶりに見た。子どもたちは踊りながら見ているところ。
長男は車でたまたま聴いた彼のCDが気に入っているみたいだ。

音だけのCDを聴いた印象と、実際のパフォーマンスを映像で見るのとは、時代が変っていることもあって、大きな差がある。もうCDの方はとにかくスゴイ。存在感と喪われない新鮮さでもって私を圧倒するのですな。車で聴いていると、自然とヴォリュームが上がっていってしまいます。

まあ、はっきりいってワンパターンなのですが、これが映像だと飽きさせない演出と言うか、演奏が繰り広げられてます。自分が履いてる靴を観客に投げてみたり、別に怒ってるわけじゃなく。「Rip It Up」だっけな、普通にやっても2分足らずの曲を、ぐっとテンポアップして3回くらいリピートするわけですよ。かと思えば、ステージの照明はもっと落として、自分にだけスポット当てろ・・・とか演奏の合間に指示する姿は、ショウマンシップの権化みたいな印象を受けます。ロバート・クリスゴウというアメリカの音楽批評家が書いたエッセイによれば、当の本人は会場の照明全部落として、自分だけにスポットを当てない限りステージに立たないと言っていたらしい・・・。

http://www.robertchristgau.com/xg/music/toronto-69.php

シンプルさと短さゆえ子どもにも楽しめるこのDVDは貴重だ。

extinguisher

hikeshi

BBQをやったあとのグリルの掃除は結構たいへんだ。グリルがあたたかいうちにやれば、楽なんだろうけど、炭の処分ができないことには、洗うことができないので火消し壺を買うことにした。

火消し壺