the greatest collection

アリのDVD鑑賞。64年のリストン戦、74年フォアマン、75年フレイジャーと3大タイトルマッチが収録されている。残念ながら現在日本発売はなし、しかたなくアマゾンUSでリージョン1を注文。ニュージャージーのレバノンからあっという間に届いた。送料込みで30ドル足らず。

試合前のセレモニーから、試合後のアリのコメントまで完全収録されていて、むしろその部分のほうが実際の試合より面白かったりする。64年のリストン戦の後、大混乱のインタビュー中には、観戦に訪れていたサム・クックまで登場している。

それにしても、ライセンス関係で縛りが多いのか、こういう素晴らしい記録が広く出回ってないのは本当にもったいない。アリの伝記は何種類か日本語版が出回っているので、あわせて読むと最高。おまけで入っているアリのキャリアをダイジェストで紹介するドキュメンタリーは貴重な映像も満載で必見でしょう。

キンシャサのマッチを中心にまとめた「When We Were Kings」も素晴らしいけど、60年代のアリは別格だと思った。

leaves

Sansevieria05092007

また葉が2枚、枯れて倒れていたので、霧吹きで水をかけた。前回枯れた葉と同じ株は、これで全滅してしまった。残り3株。

半年ぶりくらいにオートバイのエンジンをかけてみた。5回くらいキックしたらあっさり始動。近所を走ってみたが異常なし、また今度いつ乗るか分からないのでガソリン満タンにしておく。きょうみたいな天気で乗るオートバイは、環境にはよくないかもしれないが、やはり気持ちいい。

昼食後、熱を出して学校を休んでいる長男のために「古事記物語」を読む。子ども向け古典文学全集1に収録されているバージョンなので、現代語訳で分かりやすく、面白い。イザナミがイザナギに追っ手を放つところなど、いささかB級ホラーっぽい雰囲気さえある。桃の木に神の名前を与えちゃうところなどかなりファンキー。

午後、次男を連れて公園で遊ぶ。知らない子どもでも積極的に関わって遊ぼうとするのをなるべくほっておく。相手の子どもの親は心配そうに声をかけたりしているが、よっぽどのことがない限り、勝手にやらせたほうがいいと思う。自分が子どものときは親がそばにいて、あれこれ指図はしてなかったように記憶しているが、最近では子ども同士でケンカもさせない。幼稚園でも同じ。とにかく仲良く、相手に迷惑にならないように遊ぶ、これが至上命題。

こういったことこそ陰湿ないじめを生む原因のひとつではなかろうか、とフト思う。ケンカをして障害が残るようなケガをされても困るが、どれくらい痛いのか、どれくらい嫌な思いをするのか、そしてどうやって人との関係を築いていくのか、小さい子どもの時にこそ自然に学べるのでは・・・。

夜はヤマタノオロチを退治するスサノオのエピソードを読んで子どもたちを寝かせる。いい奴じゃん、スサノオ。

drink

drink

夜勤明け、三鷹の宮田酒店に寄る。鹿児島酒造の「にごり芋」無濾過バージョンを購入、2048円。にごりで無濾過だから、どぶろくみたいかと思いきや、丁寧に不純物を取り除いてあるので、パッと見は無色透明で、飲み口もごくさわやか。ぎゃくに肩すかしに近い。

dead

夜勤明けにアメ横にて自転車用パンツとサドルを見て回る。値段が高いので、もともと通販で買おうと思っていたのだが、実物を確かめておきたかった。開店直後のショップは空いていて気持ちいい。

「デッドアイ・ディック」読了。さびしいけど、どこか楽しい、乾いた小説。つづいて「猫のゆりかご」に突入するも、「フラナリー・オコナー全短編、上下巻」が入荷との通知を受けたので、一時中断の予定。

妻の実家にあったジェリー・ガルシアのインタビュー本、「自分の生き方をさがしている人のために」。ちょっと恥ずかしい邦題は片岡義男訳なのか、編集者のセンスなのか。オリジナルは「A Signpost To New Space」とかっこいいのに、もったいない。もともとローリング・ストーン誌のインタビューをまとめたもの。

タイトルは若者向けのような錯覚を起こさせるけれど、これを読んで合点のいく若者などいまの日本にいるのだろうか。わたしは先週末に読んで、ジェリーが言わんとしていることがようやく理解できたような気がする。Grateful Deadの活動のあらましとか、もちろん彼らの作ってきたコミュニティとか、ロックが生まれたころのサンフランシスコの様子だとか、そういう背景を知っているのといないのとでは、彼の言葉の持つ意味がぜんぜん違ってくるよなあ。

当時のサンフランシスコの雰囲気を知るには、海野弘のカリフォルニア・オデッセイ・シリーズ第3巻「めまいの街」が分かりやすくて良かった。

そんなジェリーがもっとも影響を受けていたのがビートルズの存在だったというのが意外。

モハメド・アリの3大タイトルマッチをまとめたDVDが到着、楽しみ?。

sleepy

鼻水が止まらず、咳も出始めたので、午前中に病院に行って、薬をもらった。鼻水をかんでばかりいるので、鼻の下のところがヒリヒリする。薬を飲んだら確かに効果があるようだが、すごく眠い。

「デッドアイ・ディック」は半分くらいまで読み進んできたところで、面白くなってきた。

competition

champion

長男がムシキングの公式大会に参加したいというので、10時10分前に会場となるムシスタ、ムシキングスタジアム@府中(ゲームセンター)に並ぶ。ゴールデンウィークのせいか、エントリーは定員16名のところ12名。14時から大会スタートなので、いったん帰宅し昼食後再びムシスタへ。

会場となるゲーセンの入っているショッピングセンターにはTSUTAYAもあったので、ちょっと早く入ってブラブラ書籍コーナーを見回る。面白そうな釣りの本があったけど、ほかはぜんぜんダメ。だいたい蔦屋のラインナップは馬事公苑店でもトホホだったからあまり期待してなかったけど、図書館の方がはるかに楽しいぞ。

こんどは親子で釣りをしてみようか、ふと思った。

大会の結果はあっけなく1回戦で敗退。みんなツワモノっぽい小学生ばかりだったからなあ。負けた長男は泣いて悔しがってた。帰りにどうしても機械相手にもういっぺんやりたいというので、帰路イトーヨーカ堂でリベンジを図るがこれもうまくいかなかったみたい。

そんな奮闘する長男を尻目にわたしと次男はモグラ叩きゲームで盛り上がっていた。もともとゲームに向いてない私にはこれくらいがシンプルで楽しめる。ちなみに次男は自分の目の前にあるモグラだけ叩いていた。

worm

worm

きょうは隣町どおしの運動会。尺取虫を見つける。水団が振舞われた。喉が痛いのと、鼻水。熱はないのでアレルギーなのか、風邪薬を飲んでも変化なし。やたら眠くなる。午後に雷雨で一時停電、珍しい。

昨日フラナリー書簡集読了。なんと厳しいアーティストなのだろう。通勤の帰り道に読む本がなくなるので、本屋へ行こうとしたら、文庫本を拾う。「南の島に暮らす日本人」、タイトルどおりの内容。フラナリーのあとに読むとアルコール度数の高いウィスキーの後のチェイサーみたいな感じ。内容的にはそんなに軽くないけど、さらりと読めていい。のどごし勝負といったところ。

NHKのBSドキュメンタリーで放送していた「ドイツ買いの現場では」原題:Losers and Winners (制作:ドイツ filmproduktion loekenfranke/2006年)を見た。中国がドイツで巨大なコークス炉プラントを買い、分解して中国に運んで組み立てるという気の遠くなるようなプロジェクト。長年その工場で働いてきたドイツ人と、解体のために乗り込んできた中国人との摩擦、その表情を対比させながら、淡々と撮った作品。けっこう味のある人物(とくに中国人)がよかった、まるで映画みたい。コークスの国際価格はこのプラントの移転後およそ10倍に跳ね上がった、と最後のナレーションにあった。

small talk

sakura

「いきつけのショップ」と書くとちょっとかっこいい感じだが、実際は間口1間くらいの個人商店で、同好の士以外は決して立ち寄ることもない店。しかし、店長は若いのにいろいろ相談に乗ってくれて、くだらない話にも耳を傾けてくれる。きょうは立ち話をしてたら、自転車の後部座席に乗せていた次男が知らないうちに寝てた。

買い物用自転車の前ブレーキのパッドがほとんどなくなってた。危なかった。駅前のサイクルショップでパーツがあるか訊いたら294円だったので、即購入、帰って自分で交換した。ついでにベルも。自転車自体はもうボロボロなので、買い替えも一瞬あたまを過ぎったが、これくらいの費用だったらOK。

現在フラナリー・オコナー書簡集「存在することの習慣」とっかかり中。作家活動の舞台裏を覗くのは面白い、アメリカという特殊性はあるにしても。またオコナーの短編が読みたくなったが、地元の図書館には全短編を集めた高価な本がなかったので、リクエストを申し込んだ。ついでになぜか閉架書庫送りになってたボネガットを5冊ほど掘り起こしてもらって借りてきた。

Venedig

kai

ここ何日か雨降りやら何やらで自転車に乗れなかったので、休みにもかかわらず近所を走ってみた。最近は乗らないと体の調子が悪くなってくるため、メンテナンスを兼ねて。エンジンと同じで使わないとだめみたい。ただ時間帯も、通勤ルートもいつもとは違うので、いまいちスピード出せず。まあ、休みだからいいか。

光文社が古典の新翻訳を文庫シリーズを出しているのは前から気になっていたのだが、近所の図書館にも入り始めた模様。これまで「ベニスに死す」だったような気がするけど、今回の光文社文庫は「ヴェネツィアに死す」。もう100年近く前の小説だ。

とはいえ、わたしは初めて読む。部分的には見た気もするが、映画も全編通して鑑賞した記憶はない。

すごいのは第2章、会社から帰宅途上の通勤列車の中で読んでいてクラクラした。まるでボルヘスの詩か、延々と続くエルヴィン・ジョーンズのドラムソロを聴いているかのような印象。ずっとこの調子だとツライなあ、と思ってたら、第3章からはフツーにいい感じ。須賀敦子から違和感なくヨーロッパテイスト続行中。

Trieste

きょうも昼過ぎから冷たい雨が夜まで降り続く、寒い1日だった。電車通勤のお供は須賀敦子「イタリアの詩人たち」と「トリエステの坂道」。詩人の話はやはりちょっと遠いまま終わってしまった。こんどは詩集を借りてみようと思う。

トリエステという場所は、通信業界では大手と呼ばれるベンダーの拠点がある町でもあって、わたしは仕事でそこから発送された機器を受け取ったりすることがある。「トリエステの坂」は、彼女のあこがれていたその町にはじめて足を踏み入れたときの不安感、孤独感が強調されていて面白い。

あまりにイメージばかりが膨らんでいて、じっさい行ってみると大したことなかった、というのはいわば「若者の恋」みたいなものなのかもしれない。須賀敦子についてはあまりよく知らないが、小さなころは麻布に住んで、パリに留学、イタリア人の夫が亡くなるまでミラノに住んでいたらしい。

須賀敦子解読というサイトにある池澤夏樹のコメントを読むと、彼がフランスに住みたいと思った理由の一端が分かる。骨の髄までヨーロッパの風土に浸かるという意味では文字通り先達に当たるのだろう。