“あだ名は、レトリック現象の(そして、ことばのあやの)原始形態だと言っていい。人間は深い関心をいだいている対象に対して、とりわけ本名よりあだ名を使いたがる。これは不思議な現象ではないか。心から愛している対象、心底から憎んでいる対象、気にかかる相手を名ざすとき、ふつうの表現よりもレトリカルな表現を使いたがる傾向がありはしないか。
赤頭巾のものがたりでは、何といっても彼女が主役であり、聞き手の関心をいちばん強く引きつける焦点である。だからこそ、彼女だけがあだ名で表現されていて、おばあさんも狼もふつうの名称で呼ばれているのだ、というのはうがちすぎだろうか。
あだ名そのものが即ことばのあやだと言うことはできない。その呼び名が創作され、まだ名づけの動機が生き生きと感じ取られる初期の段階にのみ、それはことばのあやなのだ。やがて周囲の人々が全員その呼び名を使いはじめ、通用するあだ名として定着してしまえば、もはやそれは、ほとんど本名並みの名称となる。ほとんどことばのあやではなくなる。”
– 佐藤信夫 「レトリック感覚」
