“人間の本能が「桜を愛している」のだとしたらそれはなぜ?と考えているうち、30年以上前におふくろが「桜はきれいだねえ」と言ったシーンの記憶が蘇り、「本能だと思っている事の何割かは、俺がもう忘れてしまった周りの大人からの愛情に由来する」……という仮説の方が楽しそうだという結論に達した”
? Twitter / Dr_yandel (via hutaba)
私は親族に花見に連れて行ってもらったことはないのでこれにはあたらないが、同じような言い方をするなら、「本能だと思っている事の何割かは、忘れてしまった時間の集積に因む」…ということかなと思った。独りで桜並木を歩くとき、その時間の細々したことは忘れても、そのときその瞬間に桜の花と自分があったことは世界のどこかに残っている。本能を感じるのは、そんなふうに、自分を離れて、世界の側に組み込まれた感情に対してアクセスしているのではないかと思う。