ポルノグラフィティの『アポロ』の、腕時計の歌詞は聴くたびにどきりとさせられる。それって僕のより、はやく進むってほんとうかい?ただ壊れてる…… はやく、遠くに向かってわたしたちは進歩してきたけれど、それってほんとうに正しかったのか?「壊れながら」人類の歴史は進んできたともいえるし、人類がこれだけ進歩しても愛のかたちが変わらないように、時の流れも変わらないとも言える。
『ハンチバック』を読んだ。「壊れながら」生きている一人の女性が主人公だ。脊椎の障がいを患った彼女はただ歩くにしても自分の身体を「壊し」ながら生きていかざるをえない。正常な姿勢を取れず、動くたびにそこら中に青痣をつくって、背骨がきしみをあげる。自分を壊すことでしか生きられない彼女はいつしか「他者」を壊すことを欲望するようになる。彼女にとって、もっとも身近な他者となり得る胎児の中絶を欲望するようになる。
『ハンチバック』はいわゆる当事者小説だから、わたしが上の歌詞と小説を重ね合わせるのは失礼なことかもしれない。けれど、あらゆる社会、あらゆる人間は巨大な歴史のなかの構造に規定されていて、誰もが壊れながら生きているとも、言えるかもしれない。壊れながら回転し続ける世界と、壊れ続けるあなたたち。あるいはわたしたちは、誰かを傷つけることでしか生きていけないとも言えるかもしれない。傷つけて、傷ついて、壊した先にあるのは約束された蜜流れる楽園だろうか?『ハンチバック』では最後のほうに旧約聖書が引用されていた。殺戮の先に約束されたカナンの楽園の再現に必死になる虐殺者たちは、自らもまた虐殺された経験がそうさせるとしたら罪深い話である。
『その日、すなわちゴグがイスラエルの地に攻め入る日に、わが怒りは現れる。
わたしはみなぎる雨と、ひょうと、火と、硫黄とを、彼とその軍隊および彼と共におる多くの民の上に降らせる。
主なる神は言われる、見よ、これは来る、必ず成就する。これはわたしが言った日である。』