- 田村修一 「オシム 勝つ日本」
- 立川談志 「世間はやかん」
- 吉行和子 「ひとり語り 女優というものは」
- 幸田文 「おとうと」
いま書店に並んでいる数あるオシム本のうちの1冊。以下、印象に残ったオシム大先生の言の葉。
日本では子供が、非常にしばしば対戦相手なしにトレーニングする。それだけですでによくない。選手にしても同じで、相手なしの練習に慣れてしまうのは危険だ。サッカーには常に敵がいるからだ。
コレ、自分の子どものサッカー練習を見るといつも思ってた。ひざを打ったよ、おとーさん。
テクニカルな選手が3人以上いたら、プレーはとてもエレガントになる。しかし人々はサッカーはそれだけエレガントになれるのだということを、なかなか理解しない。バレエと同じ芸術でもあるのだということを。サッカー選手になるためには、まずサッカー選手に生まれる必要がある。練習で努力するだけではなく、才能にも恵まれる必要がある。
至言かと。
何かを完全に変えようとしたとき、それが何であるにせよ一撃で変えるのはもの凄く難しい。首脳やコーチたち、選手に自分の考えを話して、彼らを納得させねばならないし、彼らにも違った考え方をする機会、彼らが自分自身のやり方でトライできるチャンスを与えねばならない。そうでないと成功は難しいし、全員に自分の考えを行き渡らせることもできない。
こういう考え方って大事だと思うが、なかなか実行できない。
各章の扉に一言書いてあって、一番気に入ったのがコレ
花火屋のローレンス
6月30日付 毎日新聞夕刊にインタビューが載っていたが、ずっと舞台をやってきて、そのほとんどで収益を上げられなかったということを知って驚いている。この本では厳しい台所事情の舞台運営を嘆くことよりも、それが彼女をどれだけ豊かにし、楽しかったに比重が置かれているために、読後感は清清しい。ユニークな家庭環境に生まれ育ったことからくる家族への思い、兄(淳之介)の小説がいまだにつらくて読めないというナイーブな面も印象的だ。とはいえ、全体を通じてザ・芸能界の一部を垣間見たような気がするのはなぜだろう。ちなみに、わたしは吉行淳之介の小説を別の意味で読み通すことができないが、いまの私にはまだフィットしないだけなのだと思うことにしてる。彼が篠山紀信と作ったヴェニス 光と影―ヴェニスに漂う“死の予感”と“官能の名残り”はけっこう好きだけど。
はからずも涙が出た。息子の臨終に立ち会う父親なんて、想像しただけで泣けてくるじゃないか。山田洋次監督の同名映画の原作かと思ってましたが、違うようで。なぜかホッとした。市川崑が岸恵子で作ったのが正解、いまから50年前。わたしくらいが解説なしで読める最後の世代じゃなかろうかという時代の雰囲気、家族のかたち。そんなことないのかな。この作品の前に書かれた「流れる」よりも、ハまりました。
これだけだっけな。図書館に返してしまうと、自分の記憶しかない。それはそれで必要なものだけが残ってると考えればいいのかもしれないが、それにしても衰えてきてるから、もうちょっと記録しておかないとアカンな。なんだか損した気分だ。このときとか、これ、それからコイツでけっこう本を返却してるから、明らかに上のリストから漏れてる本があるはず。ま、いっか。
3D版「アリス」はティム・バートンも焼きが回ったなと思った。とにかく薄味なんだよ。クレイアニメでリメイクしてくれ、頼む。
歌舞伎町でみた「エンター・ザ・ボイド」にはグッときた。前作「アレックス」を見たときに、どーしてここまで暴力、残酷さを前面に押し出すのか?そのインパクトばかりが印象に残って、わたしには長年ノドに刺さった小骨みたいだったけれど、今回の「ボイド」みて分かりました。ランディ田口のTweetは置いておくとして、彼のメッセージは「いまそこにある愛こそすべてへカウントダウン」と勝手に納得。逆ジョンレノンなのね。Uplink浅井社長曰く「劇場で見るべし」との言葉に、新宿駅からダッシュしただけの甲斐があったいい映画でした。
日本代表に関して。
かつてないほど充実したワールドカップだったのではなかろうか。98年は初めてで何だか落ち着かないまま終了。02年は出来過ぎでウワっついてるうちに終了。06年は自信過剰で終了。今回がもっとも平常心で、とにかく勝つためにプレーしていたように見える。それにしても本大会までの戦いぶりはいったい・・・何だったのか。本番で敵を欺くために、まずは味方からというわけか。そうだとしたら、岡ちゃんスゲーよ。