近所の図書館にある「ご自由にお持ちください」コーナーで見つけた本、「空海の世界」が面白い。空海の人となり、密教の世界が彼の残したキーワードをきっかけにして分かりやすく解説してあるのでとても読みやすいということもある。彼が没した高野山という真言宗の総本山を、ほんとうに子どものころ、家族旅行で訪れた記憶があるが、とてもリゾートとは程遠い場所で、おそらく父親が当時そういったものに興味を持っていたと推測される、今度聞いてみよう。とはいえ、子どものころの記憶には宗教的な体験として何も残っていない。
あのエリアには熊野という、これまたスピリチュアルな磁場の強い場所があり、南方熊楠や中上健次の著作の舞台としても知れ渡っているけど、最近は、世界遺産の指定を受けてツーリストが急増しているというニュースを見た・・・行ってみたい。
場所の持つ意味ということで言えば、わたしの職場付近はすべて「日本橋本町」「日本橋堀留町」といった形で「日本橋」というのが接頭句としてついていて、町じたいはマンション建設もあちこちで進んですっかり近代的だけど、名前に残っていることで何となく由緒正しい感じがするし、目に見えない感覚的な部分だが町のもつオーラみたいなものがある。ちなみに日本橋堀留町は昼夜の人口差がかなり大きいエリアのようなので、錯覚といわれればそうかもしれないが、何百年という長期にわたって人が住み続けた「残像」みたいなものがきっとあるのだ。当時は未開の山地だった高野山に空海が精神のよりどころを見つけることができたのは、その場所の発する何かを感じ取ったからに違いない。そこじゃなければだめだったわけで、大地や自然と交信する能力を人間は持っていた証拠といえる。