
生計の道として絵筆を持ったとはいえ、DNAに刻まれた「金持ち根性」と呉服商の血は薄れない。見よ、『燕子花図屏風』を。水流も橋もなんにもない、金箔だけを貼った単純極まりない背景に、緑青と群青の単純な色調に、同じ形の花群が反復するさまは、まるで着物に見られる「型置き」の技法のよう。「それって美術じゃなくデザインじゃないの?」などというモダニズムに毒された反駁はどこ吹く風で、光琳はそのリズムの心地よさを心から信じているし、背景を埋め尽くす黄金の豪奢を、誇っても怯えてもいない。「だって、オレ、ゴールド好きだし」。それでいいのだ。ややこしい「意味」とか「自分」なんてものは、『燕子花図屏風』にはない。とかく現代人が探したがる「自分」、つまり「光琳自身」のエゴは、存在しない。ただあっけらかんと美しい燕子花があるだけだ。そのあまりの「自分」のなさ加減を物足りなく思う、マッチョな近代ロマン派系個人主義の方々は「琳派なんて」とくさすけれど、オレがオレがと苦悩してばかりの美術なんて、見ていて楽しくもなんともない。というか、苦悩しなけれりゃ芸術じゃない、という狭い了見だから、ブンガクでもアートでも行き詰まるのだ。そういう人は琳派でも見て、アタマを冷やしてください。
いままさに咲いてる時期。
根津美術館で
開館85周年記念特別展
光琳派
国宝「燕子花図」と尾形光琳のフォロワーたち
https://www.nezu-muse.or.jp/やってます。
