思い返してみれば、今年の4月頃にも不眠・過活動気味になったことがあった。その時と共通しているのは、恋人との関係が良くなかったことと、朝比奈秋の『受け手のいない祈り』を読んでいたことだ。恋人と冷戦状態にあり、自らのメンタルヘルスが少なからず害されていた状況は、わたしを不眠にするには十分な要因ではあったが、『受け手のいない祈り』を読むという読書体験もまた、わたしの脳みそを異常に活発化させるには十分だった。
物語の主人公・公河は、大阪府の郊外にある救急病院で外科医として勤務している。そのエリアでは夜間救急の患者を受け入れている病院が3つあったが、そのうちの2つが救急から撤退し、彼の勤め先の病院には夜間でもひっきりなしに患者が押し寄せるようになる。まともに眠ることすら許されない環境。「病院に行けば治療してもらえる」ということを自明視する患者に対する憤り。もともと月に100時間程度であった残業時間は次第に300時間を超え、心身に異常をきたしながら、狂気の中で働き続ける。
自分もまだまだ未熟だった。背骨を立てたまま死ぬには遠くおよばない。もっと働けるはずだった。働け、働け。自分より長生きする病人のために働き、自分より安らかな病人の苦しみを背負うのだ。
(…)
ガラス戸を開けると、暗闇のなかで光が粒立ち始めていた。七十三時間目の勤務の始まりだ。あと一時間ほどで太陽が昇る。眠ることなく四回目の太陽を見るのはこれが初めてになる。
繰り返すこと四回目の一日がどんな日になるか、私にはすでにわかっている。これからの二十四時間、助からずに死ぬ人間が私には事前にわかることだろう。自らの死をのみこんで生きることになった人間はみな預言者である。
『受け手のいない祈り』P.192-193
朝比奈秋の、無機質とも言える文体、しかしそれでも鬼気迫る筆致に喰らわされ、わたしもまたうまく眠れずにいる。
(2025/09/06)
