Riceboy Sleeps

m12gatsu:

育児休業に入った。職場の事務方と諸々の手続きをする中で、子どもの名前を印字された書類を見ると嬉しい。あと自分以外の人が彼の名前を口にするのをきくと嬉しい。仕事納めを1週間くらい早く繰り上げて、このまま1月末まで育児に専念する。クリスマスイブの夕方、プレゼント引っ提げて九州の義実家へ飛んだ。子どもには浅葱色のロンパースを、妻には同じブランドの生成色のニットを。前身頃がケーブル編みで、袖がスウェット生地の切り返しになっている。義実家へ着くと、我が子はサンタクロースのポンチョを着せられて静かに眠っていた。半月は義実家で過ごし、残りの半月は東京に戻って、いよいよ3人で暮らす予定。生後1ヶ月に経った、色々あった。書こうとするそばから、書きたいようなことが起こる。子どもを育てる。子どもを育てる。

leomacgivena:“インドで僧侶のお手伝いみたいな仕事もしてるんだけど、まじでインド人絶対時間通りに来なくて謝りもしない上に仕事もテキトーで、腹立ってそのことを個人面談でインド人の僧侶に相談した…

leomacgivena:

“インドで僧侶のお手伝いみたいな仕事もしてるんだけど、まじでインド人絶対時間通りに来なくて謝りもしない上に仕事もテキトーで、腹立ってそのことを個人面談でインド人の僧侶に相談したら「Hikaru, 聞いて。まず、『仕事が一番大事』と思っているのは日本人だけよ」とか言われて怖くて泣いちゃった”

? Xユーザーのひかるさん

何人もの死に際を看取ってきた有名な介護の先生が「人は死ぬ間際母性を求める」つまり子供帰る。と言っていた。

lllusioninthehead:

何人もの死に際を看取ってきた有名な介護の先生が「人は死ぬ間際母性を求める」つまり子供帰る。と言っていた。

母の母はまだ生きている。90歳も超える年齢が全然足るを知らない人で、おいしかったお菓子は人の分まで持って帰り、服や宝石を欲しがり、150歳まで生きたいと認知症でふわついた頭で言う。

どうしようもないなと思う。思えばこの人からお小遣いをもらった記憶すらない。

闘病中の母もこの祖母については持て余している。来るとあれやこれやと聞かれて家事もせずに世話を要求し、何度も同じことを聞かれてとにかく疲れるようだ。

母はこの人を死ぬ間際に求めるのかなと懐疑的な目で見ている。

母が死ぬという行為がなぜ悲しいのか考えてみた。

ひとつは母が死ぬことをによって自分が死ぬことへの予行練習として疑似体験してしまっているように思える。

母は酒とたばこと宗教と友達とのお喋りあたりが楽しみとしていたと推察するが、

死ぬということは、少なくとも癌で死ぬということは生きる楽しみをひとつひとつもがれながら墜落していく行為に思える。

酒、たばこを止め、友人とも体力精神力の低下から会わなくなりあとは宗教だけ。宗教活動もできなくなっているから心から信じるという純粋な行為に帰還してるともいえる。

自分は何を楽しみにしているのかをひとつひとつ思い浮かべたときに、まだ死ねないなと生きる気力が湧いてくるが、それがひとつひとつ消えていったらやはりもう死にたいと思うのだろうか。

もうひとつは、家族の絆というもの薄い家系の中で唯一長いこと一緒に暮らしていたのが母で、家族=絶対的な後ろ盾と考えるとそれをなくすのが不安だということだ。

犯罪を犯した子供を必死に庇う親がいる。醜いと思うが、子供にとっては心強くもあるのかもしれない。聡ければ。それで漬け上がる醜い人もいるか。

もう少し何か出てくるのかと思ったがうちはこの2つか。

経済的に自立している(むしろ母が負担になっている)というのは割り切りとして悪くないことなのかもしれない。

その分、死んでホッとする気持ちと死んでほしくない気持ちの両端をいったりきたりしなければいけないのでしんどいけど。でも、それも人間的なのか。

母が断絶している「兄家族に会いたい」というので年末年始に会うことになりそう。兄はあまり頭が良くなくて、鬼嫁は邪悪な人なので醜悪なことになりそうだが、思い残すことはないようにとは思う。あちらからしたら残念ながら実家の名義は母にしてないので遺産はない。期待外れの見当違いな心無い言葉がでてくるのかもしれない。

親をあちらに送るというとのも人の務めか。深く関われば関わるほどしんどい。近くにおらず、日常生活の補助もせず、たまに会いに来て「元気出して」「きっと良くなるよ」と声をかけておみやげの1つを渡すだけの人にはわからないつらさがある。

でも、人は基本的には経験したことしかわからないから、仕方ないとは言わないけどその醜さも人なのか。まだ、許せそうもない。

ちゃんと息抜きもしてます。ご心配ありがとうございます。