やすんでもいいのよ rest time
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344: 名無し:24/08/21(水) 19:11:29…
344: 名無し:24/08/21(水) 19:11:29 ID:pe.rf.L1
コインランドリーのおかげで死なずに済んだこと。
どういうことかというと、数年前、職場のベテランが複数名辞めて皺寄せがこちらにきたことがあった。
精神を病んで、洗濯物を洗っても洗濯物が干せなくなった。洗濯物を洗ってもそのまま洗濯機から出さずカビだらけに。
怖くなって服を洗えなくなり、下着だけ手洗いしてなんとか干してた。洗濯物を干さないと綺麗な服も着られないので、毎週新しい服を買う意味のわからない行動に出てた。
罪悪感で胸が潰れそうだった。
ある夜コンビニにおやつを買いに出かけたら、住んでるマンションのお隣さんが私に「こんばんは〜」と挨拶して
大量の洗濯物を抱えて出かけて行った。
不思議に思ってこっそりと後をつけた。そしたらお隣さん、大量の洗濯物をコインランドリーに放り込んでた。
徒歩2分くらいのところにあったようなのに、私は全く気づいてなかった。
それでも
「コインランドリーに頼るのは大人として失格だ。きちんと手で干さないと、太陽の光に当てないと、洗濯したとはいえないんだ」
とその時は思っていた。
さらに惨めになって死にたくなって、練炭も用意し、いざという時はこれを使おうと決めていた。数ヶ月が経って、過労で職場で気絶し床に倒れた時、頭の中にパッとあの夜見つけたコインランドリーが浮かび上がった。
真っ白で清潔なコインランドリー、お隣さんが洗濯物を放り込んだ洗濯機の洗剤の匂い、看板に書かれた「10分100円」の文字。
そのまま暗転した。目を覚ました時には病院だった。丸一日眠ってた。
看護師さんが名前はわかりますかと聞いているのに、
「私、コインランドリーに行かなくちゃいけないんです。
今すぐにコインランドリーに行ったら、これから全部うまくいく気がするんです」
と開口一番伝えて看護師さんを困惑させた。病気ではなく、睡眠不足が祟ってぶっ倒れただけだったのでなんともなかった。
しばらく私は見舞いに来た上司や同僚に「コインランドリーに行けばすべてうまく行くんです」と何度も何度も伝えた。
「なぜうまく行くと思うの?」と理由を聞かれたけれど、
「わかりません。でも今の私を満たせるものはコインランドリーしかない」
とわけのわからない回答をしていた。上司が不気味がって、休職していろと指示があった。
退院し、すぐさま床に散らばった家中の服、下着、タオルを家の洗濯機で洗濯して、脱水まで済ませたものを
せっせとコインランドリーに運んだ。ちょっと贅沢に40分400円コースにした。ゴウンゴウンと音を立てて洗濯機が乾燥していくのを、40分呆然と立ち尽くし、ずっと乾燥機の前で見つめていた。
どんどん心がスッキリしていくのを感じた。それから洗濯物をきれいにしまい、途端に家事をやりたくなり、家中綺麗にした。
そして「あんな苦しい職場辞めちまえ」という気になり、貰うもんだけ貰って辞めた。今はちゃんとした会社で、たまに残業しながらものんびり過ごせている。
週末お洗濯して、洗濯物の乾燥はコインランドリーに頼ってる。
大体10分もあれば乾く量なので、月額400円であの苦しさから解放された。
前の職場の同期曰く、「明らかに普通ではなかった。何を聞いてもコインランドリーの話しかしてなくて、本当に病んでた」
と言われた。多分、家事の中でダントツめんどくさい「洗濯物干し」が楽になって助かったというだけの話なんだけれど、
私はそれ以上に、心が助けられたと信じてる。
shrineroof: “画家の熊谷守一が川に溺れたときの感想が「あんなに忙しいのは生まれて初めてだった」なの本当にかっこいい” ? Xユーザーの豊井さん / X (via reiznika)
“画家の熊谷守一が川に溺れたときの感想が「あんなに忙しいのは生まれて初めてだった」なの本当にかっこいい”
? Xユーザーの豊井さん / X (via reiznika)
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母の緩和ケア病棟への転院と、緊急時に延命治療はしない書類へサインをした。
母の緩和ケア病棟への転院と、緊急時に延命治療はしない書類へサインをした。
肋骨の神経を圧迫し続ける癌は肥大を続け、長い痛みとの闘いを母に強いている。
どんな強い痛み止めも効かず、母にとっては煉獄の苦しみだろう。
年明けから始まった痛みは強さを増して母から生きる気力を奪っていく。諦めろ諦めろと言っているかのようだ。治療を決めた時にあった生きる意志はいまどのくらい残っているのか。
運動もせず粗末な食事を摂りどうにかなるほど甘くない。望みが行動や思考に表れないのが母の悪いところでいまはら他人に変えられるはずもない。
栄枯盛衰なく、人はずっと生きることができない。古い世代は若い人たちの足を引かず、ただいなくなる。それで良いと小さい頃母が言っていた答えがいまここにある。
小さなおばあちゃんがなくなり、現役世代の負担が減り、次の命に使えるお金が増える。
それだけだ。誰かに迷惑をかけずに完ぺきにとまではいかないが、平均余命より20年近く死ぬ母はそこだけは有言実行の人だ。
1日実家にいるだけで母の友人が何人も差し入れにくる様子をみると母の人生に思いを馳せずにいられない。ありがたい思いと煩わしく思っている母と、当事者でないからできる優しさを疎ましく思ったり、やはり嬉しかったり。二律相反で、両極端なものが同時に存在するということを思い知らされる。人間はカオスなもんだな。