“江戸の町人は7割が男、男が余って一生独身の奴らばかりだから風俗が流行
女はオカメでもモテモテなので、かかあ天下になりやすく不倫や離婚も多い 長屋の大家は住人のウンコを農家に肥料として
売る契約をして成り立ってるので家賃が安い 基本、普段はプラプラして金がなくなったら仕事をする生活
天秤棒担いで、仕入れたものを何か売ったり
ロウソクの欠片や木の灰を集めたり
何か手伝う事ないかーなんて叫ぶだけでも日銭は稼げた すぐ火事になるから家具とかにも金をかけない
飯は白米を一食二合
殺人は勿論、詐欺でも死刑なので
スリさえ気を付ければ治安は上々、戦争も当然ない 酒飲んでソバ食って春画みてオナって寝る
そんな毎日”?
コピペ新聞 – 江戸の日常 (via konishiroku) (via zypressen) (via joker1007) (via etecoo) (via kml) (via appbank) (via ipodstyle) (via gkojax) (via kudan) (via skaholic) (via 908908)
補足。
女は結婚する時にあらかじめ男に三行半(いつ離婚しても文句いいません覚え書き)を書かいてもらって持っておき、離婚したくなったらそれを使う。
三行半を書いてもらわなかった場合は駆け込み寺へ行って一定期間別居すれば離婚成立。町人階級には基本的に「姓」は無いので、夫婦別姓とか子どもの姓はどっちとかいう議論は発生しない。名字帯刀を許された町人階級(お金持ちや町内会長的なポジションのおうち)は現代と同じ。
公式の場では名乗れないけど、通称として内輪で名乗る姓は一応OK。歌舞伎役者の名跡なんかはその扱い。?
一般人は「住んでる地名 or 出身地+身分+名前」が正式の名乗りになる。都市生活者だと浪人とか町人っていう身分の他に、住んでるところが曖昧(借家を転々としてるような)で定職に就いてない(商家の使い走りとか、日雇い運送業とか博打打ち etc)のは「無宿(むしゅく=アウトロー)」扱いになる。離婚経験者や夫と死別した女性はモテた。
妻としての経験を積んでいる(性的にも家事の面でも)という理由。
子持ちだと「子どもを産む能力がある」という証明があるので、やっぱり人気。?
未通娘が良しとされたのは、先出の名字帯刀が許された町人と武士の娘くらい。誰が父親かはっきりしている子どもじゃないと困るから。ここからは上方の風習。
上方の都市では武士=勉強も芸事も商才も何も取り柄が無い人の職業、という意識が強い。
というのも、上方の都市(京都・大阪・奈良など)は幕府の直轄領なので、上方の都市に住んでる武士はお殿様に仕えてる藩士ではなくて、江戸から派遣されて来るキャリア組の代官の下で事務処理だけやるのが仕事だったため。商家では自分の息子で出来の悪いのが居ると、武士の養子の権利(株という)を買って、商売と自分の家から切り離した。
そんなわけで、お店のオーナー一家に息子と娘が居て、息子に商才無しとオーナーが判断した場合は、娘と一番番頭や職人の若手No.1などを結婚させて店を継がせるのが一般的。
むしろ、博打要素の高い息子を若社長として育てるルートより、 丁稚や見習い(どちらも小学校低学年くらい)の頃からオーナー子飼いで育てた部下を婿養子にする方が手堅かったらしい。上方の都市は男女半々くらいの人口比だったので、江戸ほど男余りではなかった。
そのため、歓楽街の風習も異なる。江戸の吉原では花魁のような高位でも一晩に数人の客を取る「回し」が一般的。
数部屋に客をばらばらに待たせておいて、ヘルプの芸者や新造(半人前)にお酌や芸をさせておいて間を持たせ、掛け持ちする。客もそれを前提としているので、待つのも遊びのうちとして割り切っている。
また、大門からの外出は厳禁。
上方の歓楽街、京都の島原、大阪の新町では、客は基本一晩一人。
遊郭の外に同伴で遊びに行くのも可。ただし、別料金。京都はお寺が多いので、陰間の需要が高かった。江戸時代の僧侶は浄土真宗以外、基本的に女犯禁止のため。
男性の同性愛は世間一般常識上ノーマル。
むしろ生殖目的ではないので、異性愛よりプラトニックで高尚という意識。(via otsune) (via jacony) (via ontheroad) (via pcatan) (via gkojax) (via konishiroku) (via saitamanodoruji) (via plus16hours)
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