nozacs: “ところで、先ほどからその少年のことを無断で「私」呼ばわりしているが、少年のほうで今のこの私を自分だと認めてくれるかどうかは甚だ心許ない。何しろ今の私ときたら、いい年だし、髪は白いし、…

nozacs:

“ところで、先ほどからその少年のことを無断で「私」呼ばわりしているが、少年のほうで今のこの私を自分だと認めてくれるかどうかは甚だ心許ない。何しろ今の私ときたら、いい年だし、髪は白いし、ふてぶてしい太鼓腹だし、どうしようもなくだらしない男なのだ。少年はひどく驚くだろう。ほんとにこれがぼくなの、と。そう聞かれて、まごつかずに答えられるかといったら、たぶん無理だろう。私の名前が少年と同じだからといって、そんなことには何の意味もない。”

? ミハイル・シーシキン 「バックベルトの付いたコート」

tumblrの楽しさは散らかす楽しさじゃないか

nozacs:

gkojay:

yaruo:

syoichi:

goozennogoo:

「tumblrとは」などと語るのはgoo何とかくらいになってきた。キャラクタライズする必要なんてない、ツールとして使えて楽しければいい、というのはもちろん納得。

でもね、tumblrはブログツールのような意味でのツールではないように思う。

タンブルにどんどん放り込んでいく行為は、要するに散らかしているだけじゃないか? たとえばflickrに整理されている写真を取り出して、無秩序な流れにのせていく。言葉にしても書き「散らかして」いるだけ。それが快感。だからこそ楽しい。

散らかすのに道具はいらない。手でばらまき、足で蹴散らかせばいい。tumblrのシンプルなインタフェースは、そのような操作感を実現しているように思う。使いこなす必要がない。道具ですらない。

ツールの無意識化というキーワード。?