nozacs: “シュークリーム食うと必ずお尻のほうからクリームがはみ出るんだが 1 ID:Yj9wlxiV0 これ何とかならね? 4 ID:R3zAyzz90 どんな体してんだお前” ?…

nozacs:

“シュークリーム食うと必ずお尻のほうからクリームがはみ出るんだが 1 ID:Yj9wlxiV0 これ何とかならね? 4 ID:R3zAyzz90 どんな体してんだお前”

? 眠くなるまで笑えるコピペ貼る : あじゃじゃしたー (via rairaiken424)

quote-over100notes-jp: “救命講習おわった。ちくびピアスしてる人にAEDで電気流すと金属のせいで乳首が大変なことになるけど、緊急時なので外してる暇は無いからかまわずやってしまえ、…

quote-over100notes-jp:

“救命講習おわった。ちくびピアスしてる人にAEDで電気流すと金属のせいで乳首が大変なことになるけど、緊急時なので外してる暇は無いからかまわずやってしまえ、だそうです。乳首ピアスの人は覚悟しておいて下さい。”

? nino on Twitter: “救命講習おわった。ちくびピアスしてる人にAEDで電気流すと金属のせいで乳首が大変なことになるけど、緊急時なので外してる暇は無いからかまわずやってしまえ、だそうです。乳首ピアスの人は覚悟しておいて下さい。” (via xyo)

nozacs: “91 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 01:14:14.72…

nozacs:

“91 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 01:14:14.72 ID:lf9C0utw0
大学入って電磁気勉強したら
ガウスさんがガチで天才ということを理解した
全盛期のガウス伝説
・「整数論」の最初の方はフェルマー、オイラー、ルジャンドルらの数論史まとめ。
ただしガウスに言わせると「ほとんどの定理は少年時代に自力で見つけた(キリッ 」
・リアル中二時代のガウスは素数で一山当てようと頑張るも成果が上がらない。
面倒になったので「素数の分布を確率的に統計処理して大体の傾向をつかめばいんじゃね?」
と考えて素数定理を発見。計算は一日十五分。俺そんな暇じゃないし(キリッ
・高校生ぐらいの歳に初めてオイラーを読んで、自分の発見を
ほとんど先取りされていたことに大ショック。
しかしオイラーがやっていない定理もあったことに自信を持つ。
・楕円関数では三十年後に後輩のアーベル、ヤコビに追い抜かれた。
何故なら楕円関数を見つけた一月後にモジュラー関数まで進んで放ったらかしにしたから。
モジュラー関数が世に出てくるのはアーベル達からさらに二十年後。
・ある時、数値計算で約4.81048という極限値を得る。
これを見たガウス:「自然対数を取ると1.5708…=π/2?」と即座に予想。
・非ユークリッド幾何学を提唱したヤノーシュ・ボヤイは、
父がガウスの親友だった事からガウスに論文の批評を依頼。
帰ってきた返事は「良くできてるけど褒めると自画自賛になっちゃうんだよね。
二十年以上前に同じ結果出てたから。周りがうるさいから発表しなかったけど(キリッ 」。
ヤノーシュはヤケになって以後人生を投げてしまう。
・コンピュータ時代に発展する高速フーリエ変換アルゴリズムを何故か知ってた。
ちなみに、ガウスはごく普通の煉瓦職人の息子であり、両親の家系を追っても
学術的才能を示した人物など全くいない。
天才数学者は数おれど、ここまで極端な突然変異はガウスぐらいのものである。”

? カオスちゃんねる?: 人類史上、ガチの天才はアインシュタインだけだよな? (via mcsgsym)

nozacs: “友人の母が事故で手の指を切断してしまった。指は回収したがきれいに再接着できる状態ではなかった。友人は、どうせ動くようにならないならもう辛い手術は受けたくないと渋る母を説得し、再建手術…

nozacs:

“友人の母が事故で手の指を切断してしまった。指は回収したがきれいに再接着できる状態ではなかった。友人は、どうせ動くようにならないならもう辛い手術は受けたくないと渋る母を説得し、再建手術の相談に連れて行った。病院からの帰り道、母親は意外と上機嫌だった。担当医師がイケメンだったのだ。
続)事故は本人にとっても家族にとっても辛いものだった。だが、一時期ふさぎ込んでいた母親は口紅をさして病院に通うようになり、「とても綺麗ですねって言われちゃった///」「手術跡な。顔ちゃうから」と親子の会話にも明るさが戻った。神がこの世にイケメンを遣わされた意味を知った気がした。”

? CelesteさんはTwitterを使っています (via c610)

tatsukii: “イチゴスプーンが開発されたのは昭和35年のこと。小林工業からの依頼で、青山彫金所の彫金師・青山敞さん(※2…

tatsukii:

“イチゴスプーンが開発されたのは昭和35年のこと。小林工業からの依頼で、青山彫金所の彫金師・青山敞さん(※2014年に逝去)が発案したそうです。小林社長は開発に関するインタビューに答えた青山さんの記事も見せてくれました。『暮らしの手帖2000年 8.9月号』に掲載されており、記事では依頼主である小林工業は「洋食器メーカー」と記されていましたが、たしかに昭和35年に誕生したと紹介されています。

 依頼主となる小林工業ではその当時、イチゴを潰せるスプーンを日々考えていたそうです。その頃のイチゴは現在市場で出回るような大粒で甘いものではなく、それゆえにスプーンで潰して牛乳と砂糖をかけて食べるという食べ方が主流だったそうです。しかし、普通の丸いスプーンではイチゴは逃げてつぶしにくく、それをやりやすいスプーンをと考え最初に試作品として出来たのが「無地でスプーンの底が平らなもの」。ただ試作品を試してみると底がつるつる滑ってつぶせないので、当時の工場長が青山さんに「滑り止めに何か模様を入れてくれ」と依頼しました。

 すると青山さんが「だったら、イチゴの種の模様だろう」と発案。青山さんの感覚でイチゴの種模様が配置された現在のイチゴスプーンの原型が誕生しました。イチゴの模様は青山さんが実物のイチゴを見ながらプロの技と感覚で入れていったもので、何度かの試作を経て「シンメトリーではないものの無秩序でもない絶妙な良い加減」に配置されることによって、しっかりとイチゴをホールドする凸が表現できたそうです。”

(via 昭和家庭に1個はあった「イチゴスプーン」 開発元に歴史を聞いてみた | おたくま経済新聞)

うちにもあったなぁ。