petapeta: “認知症の講習。講師の人がなんとも言えない表情をしながら、「体力は衰えるでしょ?気力も衰える。でもプライドだけは絶対衰えないんですよ、人間は。どんな状態でも」と言っていたのが印象的…

petapeta:

“認知症の講習。講師の人がなんとも言えない表情をしながら、「体力は衰えるでしょ?気力も衰える。でもプライドだけは絶対衰えないんですよ、人間は。どんな状態でも」と言っていたのが印象的だったな。その辺に人間の栄光も悲惨さもあるんですわ、と言わんばかりの表情をしてた。苦労したんだろうな…”

? どうそくさんはTwitterを使っています (via shingi)

Amarelinha

domquixotedospobresblog:

Amarelinha

Esconde esconde

Bandeirinha

Pega pega

Pedra, papel e tesoura

Passa anel

Salada mista

Ludo

Bola de gude

Queimada

Stop

Banco imobiliário

Uno

Polícia e ladrão

Boneca

Carrinho

Brincar de médico

Escorrega

Balanço

Gangorra

Taco

Pular corda

Ciranda

Escravos de Jó

Bilboquê

Quê tudo isso lhe diz?

Exatamente,

eu tive uma infância feliz.

Jonas R Cezar

kazalf:“■『時計じかけのオレンジ』は何が凄いか機械じかけのオレンジって何が凄いの?https://anond.hatelabo.jp/20180113204136ここで書くこと『時計じかけのオレ…

kazalf:

“■『時計じかけのオレンジ』は何が凄いか機械じかけのオレンジって何が凄いの?https://anond.hatelabo.jp/20180113204136ここで書くこと『時計じかけのオレンジ』は凄いけど、聖書を読まない日本人にとってはピンとこないテーマを扱ってるので、「何が凄いの?」という疑問が生じるのももっともだ。という話を書く。『時計じかけのオレンジ』のテーマは何か『時計じかけのオレンジ』のテーマは、キューブリック監督曰く、以下の通り。本作のテーマは、自由意志の問題と関係がある。もし善悪の選択ができなくなれば、私たちは人間性を失うのではないか?タイトルが示すように、時計じかけのオレンジになってしまうのではないか?それってどういうこと?この説明を読んだとき、多くの人はもっともらしい顔をして「ふんふんなるほどね」と思うのだけど、その実ぜんぜん分かっていない。何故かと言えば、説明中の「自由意志」という言葉の意味が分かっていないからだ。「自由意志」というのは実はキリスト教の専門用語だ。それなのに「自由」と「意志」は何となく分かるから、キリスト教が分からない日本人も分かったような気分になってしまう、困った術語だ。じゃあキリスト教における自由意志って何よ?という話になるが、これはその定義自体がもうメチャクチャ議論になる。だがここでそんなところに深入りはできないので、ここでは簡単に”?神が、?人間に、?その運命を左右する選択をする機会を、?与えたこと”と定義する。この定義をふつうの日本人が見たとき、「?神が」というところを置いておけば「はあ?そんなの当たり前じゃん」と思うだろう。だがキリスト教徒にとってこの定義はひじょーに座りが悪い。なぜ「自由意志」は座りが悪いのか原因は大きく2つある。1. 1つは、上の意味で人間に自由意志が認められるとしたら、神さまは人間に悪を行う選択肢をも与えたということになってしまうからだ。これはもう一見してヤバい。この世に悪(犯罪行為、ブラック企業、利権の独占等々)がはびこっている根本原因は神さまにあることになる。すると、全知全能の神さまが何でそんなことをしたの?という疑問が生まれ、最終的にはホントは神さまなんて居ないんじゃないの?/そんな神さまなら要らないよ、という疑問に行き着いてしまう。これはヤバい。2. もう1つの原因は、聖書にはこんな記述もあることだ。神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。(ローマ書第8章30節)これはどういうことかというと、神さまは、人間のうち誰が救われるかを、前もって決められているということだ(いわゆる予定説)。これは上述した意味での自由意志と相性が悪い。なぜかというと、人間がその自由意志に基づいて信仰を持ち、(悪事を働かず)善行を積み続けたとしても、神さまの救済リストに入っていなければ救済されないということになるからだ。これでは何のために自由意志が認められたのかが分からない。さらに、この予定説を推し進めると、ある人が信仰を持つか否か/悪事を働くかどうかも、神さまの救済ノートにあらかじめ全て書いてあるということになる。ここまで行くと、人間の自由意志は全面的に否定される(!)という説まで成り立つことになる。これを踏まえて、改めて『時計じかけのオレンジ』のテーマは何か以上の点を踏まえて、最初に引用したキューブリック監督の言葉を再読すると、以前より意味が分かるようになっているのではないだろうか。本作のテーマは、自由意志の問題と関係がある。もし善悪の選択ができなくなれば、私たちは人間性を失うのではないか?タイトルが示すように、時計じかけのオレンジになってしまうのではないか?要するに監督は、「(上述したような)観念的な議論から視点を変えて、もし仮に人間に自由意志がなかったら実際のところどうなるの?」と問題提起しているのだ。本作において主人公アレックスは、ルドヴィコ療法(目を強制的に開かさせれて残虐映像を見せ続けられる)を受けて、あらゆる「悪」が行えない身体となる。つまり、自由意志が奪われる。ルドヴィコ療法を受けたのち、アレックスは出所する。悪事が行えなくなった以上、彼は「善良」そのものだ。善良な彼を見て、映画の観客は安堵しても良さそうなものだが、実際にそうはならない。生気を失い、最終的には自殺にまで追い込まれる彼の姿を見て、観客は不安を感じるのだ。そしてラストシーンで、アレックスはルドヴィコ療法を解除する治療を受け、再び悪を行える身体に「回復」する(=自由意志を取り戻す)。他方、邪悪な男に戻ったアレックスを見て観客は、「ああよかったよかった」と安堵する。しかし映画が終わって映画館を出てみると、更生した犯罪者が再び犯罪者に戻るさまを見て安堵するというのは一体どういうことなのだろう?という疑問が湧いてくる。これでは何が何だか分からない。ここで観客は、(悪を選択することも含む)自由意志がなければ、人は人間性を失ってしまう、ということに気付かされるのだ。まとめ:『時計じかけのオレンジ』は何が凄いか・キリスト教徒が1千年以上も議論してきた自由意志の問題について、これまでに無かった視点から議論を展開したのが凄い。・それなのに衒学的な映画に堕することなく、上質なエンターテインメントに仕上げ、興行収入2600万ドル以上も稼いだのが凄い。・タイトルがかっこいいのが凄い。・この映画がよく分かんなかった人も凄いと言ってるのが凄い。・キューブリックの顔が凄い。・ここまで書いてきて実は俺はそんなに『時計じかけのオレンジ』が好きじゃないのが凄い。”

? 『時計じかけのオレンジ』は何が凄いか (via crossbreed)