“子供の頃、つまり昭和一桁のころの師走って特別の雰囲気だったな。 畳替えは秋の終わりに済ましていたかも知れない。 殆どが和室で子どもが遊び回るから毎年畳み職人さんが台を持ち込んで新しく張り替える。 次の年は裏返して仕立て直して一年使う。 長い頑丈な針で縁を縫い付けて行く作業が面白くて傍にくっついて眺めていた。 師走になれば「てったいさん」と呼ばれていた屈強な男性が二人程で家中の掃除をしにきてくれる。 天井などの煤払や床下や女手だけでは手の届かない所はいっぱいあった。 母は陣頭指揮でピリピリしていたから父と子どもは邪魔にならないように避難してたものだ。 暖房器具は火鉢と炬燵くらいでその灰を新しくするのが父の役目だった。 届けられた藁束を庭の隅で焚火する。 それにあたりながらノンビリと父と話し合うのが楽しかった。 真っ黒になってまだ藁の形状を留めているのを家中の火鉢やあんかの灰色の粉になっていたのと入れ替えると新しい年が来るって実感したものだ。 年末にはクリスマスの行事も有ったから結構忙しかった。 父の田舎からはカマスに入った丸いお餅と、干し柿などが送られてくる。 舗装されていない道路を大きな門松を乗せた大八車が行き交っていた。 町に一軒だけあった洋服屋さんが姉と私のために生地見本を持って寸法を採りに来てくれる。 師走は洋服店も忙しそうだった。 既製品など殆ど無かったみたい。 姉と違って興味の無かった私は母任せだった。 晦日、大晦日になればおせち造りで台所はてんてこ舞い。 私もゆで卵を裏ごししたり、擂り鉢を押さえたり少しは手伝った覚えが有る。 お祭り騒ぎで楽しかった。 師走の緊張した喧噪さと一夜明ければ、空気が一変してそれぞれ正装して座敷に行けば父母がにこやかに大きな火鉢に手をかざしている。 その格差に新年を子ども心に心地良く引き締まった気持ちにもなったものだ。 戦争に突入する前の平和な風景だった。 私は中くらいの平凡な家庭だったけれど日本全体から見れば恵まれていた。 小学校の低学年でも不平等、格差社会は漠然とだが感じていた。”
? 昭和の風景(師走): 気がつけば82歳 (via ittm)
