1.?吉田遠志「昭和十三年 夜の東京 屋台店? Yoshida Toshi supper-wagon 1938
2. 学生食堂の牛丼。値段が15銭とある。(?昭和初め 神奈川大学HPより)
3.?横浜常磐町の鶴屋履物店と、その奥に「鶏肉スープ」の看板が見える。
4.横浜元町の
宇千喜商店(パン屋)の奥に、「牛肉」の看板が見える。3.4共に明治時代の彩色絵葉書から。
5.戦後の浅草 昭和44年それで、明治の頃は牛鍋もそうであったが、牛めしの味付けは味噌味ベースで、肉の生臭さを消していたらしい。? 「明治時代の牛めしの眞のうま味は牛の柔ら味である。牛の内臓を湯がいて、それを牛めし獨特の煮汁でコトコト終日或は數日トロ火で煮たものに葱のコマ切れを入れて暖いめしの上へブツ掛けにしたものが、當時の牛めし」(
伊藤晴雨「牛めし物語」より)
他にも、八百屋八兵衛の『牧牛論』(『魯文珍報』明治11年2月18日号所載)によると、《葱を五分切りにして、まづ味噌を投じ、鉄鍋ジヤジヤ、肉片はなはだ薄く、少しく山椒を投ずれば、臭気を消すに足るといへども、炉火を盛んにすれば、焼きつけの憂ひを免れず。そこで大あぐらで、一杯傾けるから、姉さん、酌を頼みますと、半熟の肉片、未だ少しく赤みを帯びたるところ、五分切りの白葱、全く辛味を失はざる時、何人にても、一度箸を入るれば、鳴呼、美なる哉、牛肉の味はひと、叫ばざるもの殆ど希れなり矣》とある。
ところが時代が大正に入ると、「すじ肉」を使った牛めしが主流となり、より大衆化して、値段も大正12年で10銭ほどで、これがすこぶるおいしかったらしい。山本嘉次郎(映画監督で黒澤明の師匠)の?「洋食考・食べものダンディ学」?によると、「いまの牛めしは、スキヤキ飯というべきである。牛めし、モウシャリ、洋犬(カメ)チャブ、めし屋でいうところのカケは、牛丼ではない。もちろん馬や犬ではなく、牛の筋肉がほんとうなのだ。筋肉を細かく切り、コンニャクもそれと同じ形に切り煮クタらかすのである。味は醤油だけである。一昼夜も煮クタらかすと筋とコンニャクの境がつけられなくなる。そこに牛めしの個性があり、矜持がある」とある。
そして戦後になり、関西生れの「すき焼き」が主流となったのだが、これは関東の食通にとって、内心忸怩たるものがあったらしい。興味のあるかたは、古川緑波「牛鍋からすき焼へ 」を読んでいただきたい。
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