being religious

「氷点」で知られる三浦綾子の「塩狩峠」、彼女の小説をはじめて読んだ。NHKのドキュメンタリー「あの人に会いたい」という番組で彼女のインタビューを偶然見て、興味を覚えたのだ。簡単にいえばキリスト教をめぐるストーリー、世渡りは下手だけど素敵な人がたくさん出てくるので、逆にラストへ向かう不穏な空気感は何ともいえず、フラナリー・オコナーを思い出させる。著者自身が成人してから受洗しているせいか、宗教的なバックボーンを持たない私にはとても共感できる部分が多い、三浦の生き様があらかじめインプットされていたせいもあるのだろう。でも主人公やその家族があまりにもあっけなく死んでしまうところは物足りなかった。その突然の死が主人公や、まわりの人々をキリスト教へと近づけたとしても。

このところ親鸞についていろいろ読んでいたので、あたまはすっかり南無阿弥陀仏モード。親鸞の教えは宗教というよりも、もはや「思想」といったほうがいい、と吉本隆明かだれかが書いていたっけ。たしかに「塩狩峠」を読みながら、あーこれが宗教なんだよなあと思った。それにしても中沢新一の「三位一体モデル」とこの「塩狩峠」が同じ宗教について書かれた本とはにわかに信じがたい。それがキリスト教の懐の深さと言われても、いまのわたしにはイエスより断然親鸞がフィットする。

塩狩峠

午後、次男とホームセンター。犬の新しい首輪とリード、ドライフード、それとずっと欲しかった木炭着火ツール(写真下、1380円)を購入する。

firemaker

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