なぜ私は他人に対して腹を立てるのだろう?何か自分が不利益をこうむったわけでもない、むしろお世話になっていたりするのに、なんとなくいやだなあと感じてしまうことがある。人と共有する時間が長くなればなるほど細かいことが気になってくるのだろうか。(あらかじめ記しておくが、これは妻のことではない。)年を重ねるにつれて、表には出さない(つまり内側に抑えている)けれど、人に対する寛容度は確実に低下している。そうしたギャップは精神衛生上よくない。ただ、よく考えてみると、これは「立腹」というより単なる「不快」なのだ。雨が続いて、湿気が多ければ不快指数が高くなるように。感謝してもいい雨がもたらす恵み、それを忘れて晴天を望んでしまうのは人間としての熟成が足りないせいなのだろう。
社会環境、経済体制といった目に見えにくいものが、意識する、しないにかかわらず影響を与えていると言ったのはマルクスだっけ?現在「フリーター」だが、社会的に微妙なプレッシャーを感じるのは、たとえば親のちょっとしたひとこと、それは心配から出ているのだが、同時に前近代的な意識の残存ともいえるものが働いているからなのか。ヨウロウ某「バカの壁」によれば、昔は働かなくても暮らしていける社会を目指していたらしいが、共同意識みたいなものは依然として「働かざるもの食うべからず」のようなところに留まっているのかもしれない。「バカの壁」から「夜と霧」(ヘヴィ)、天才栗田から片山恭一(人気作家)、アーヴィング「ガープの世界」上巻(おもしろそう)、「熊を放つ」下巻(これから借りる)、「パリのランデブー」(ロメール)、「レイディバードx2」(ローチ)と、鑑賞リストが長くなっているので、こんな文章を書いている場合ではない。