the man who was killed

sumo

また相撲が始まった。そしてモンゴルやブルガリア出身の力士がいくら盛り上げようとも、苦々しい気持ちでTV画面を眺めることになる。実父のリクエストで、夕食時、食堂のTVは例外中の例外として、本場所開催中には結びの一番が終わるまで消されることがない。わたしは決して相撲という競技について、これといった思い入れがあるわけではない。ただ、国技だとか伝統とか、横綱審議委員会とかよく分からないものについては態度を保留したいと思ってるくらい。それより場所が始まるたびに思い出すのは、2007年6月に起きた時津風部屋力士暴行死事件のことである。17歳という若さもさることながら、文字通り同じ釜の飯を喰った同僚に殺されたのが悲しすぎる。しかも事件が起こった当初、時津風部屋が病死として処理しようとしていたところ、不審に思った遺族の告発で暴行が発覚したというトンでもないオマケ付き。ビール瓶や金属バットで暴行を加えたというような、ショッキングな内容が連日TVで報道されていたのは忘れることができない。

起こってしまったものはしょうがない、しかし親方の解雇など、事件の処分が行われたあとの本場所が何事もなかったかのように開催されて、我が家でも根っからの相撲ファンである実父がいつもと同じようにTV観戦して楽しんでいたのには正直納得いかなかった。すくなくとも国技とか伝統を謳うのであれば、金儲けより大事なものがあるだろう。こんなこといまさらいっても始まらないが、事件が発覚したあとの本場所は休んで、亡くなった力士の追悼とするとか、それくらいやってほしかった。角界の一端を担うひとりの若者が亡くなっているのだ。相撲ファンも関係者も本場所が開催されない不都合や寂しさを胸に刻みつけて、それがどうしてなのか、何をしてしまったのか、ということをみんなで考えるべきだった。それでこそホントの伝統であり、国技を名乗るのに相応しいのではなかろうか。NHKの放送枠だとか、力士の給金だとか、補償はどうするんだ・・・という意見もあるだろう、だけれども国技だったら潰れるはずないし、そんなに大事な伝統で人気があるのだったら、本場所を1回休んだくらいでなくなってしまうはずもない。

相撲界は目先の利益だけをみて、まっとうなファン、末永い伝統を獲得するチャンスを自ら放棄したともいえる。そしてそのことに感じた嫌悪感を、私はいまだに引きずったままだ。

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