Tweets on 2009-08-05

Tweets on 2009-08-04

hierarchy

相変わらず橋本治の「窯変 源氏物語」を読み続けている。ここ最近は「松風」。前にも書いたけど、ほんとに日本の社会、とくにセレブな世界では何百年も同じことやってることがよーく分かる。そして日本の芸能界みたいに、いったいこの人たちはどうやって食い扶持を稼いでるの?ってヒトばかり出てくる。昔の皇室は権力闘争の場であるから、かなりエグい。ただ、いまの皇室のクローズドさ加減に比べたらずっと開かれていて、それだけ才能のあるひとたちが集まっていたんじゃなかろうか。短い期間に次から次へと帝が交代するのも、ある意味健全。とくに外敵が近くにいない場合には。

光源氏は正式には皇室のメンバーではなく、ただの高級官僚だから、そういった交代には関係ないはずだけど、それでも政争に巻き込まれて須磨に飛ばされ、寂しくて泣いたりする。それまではずいぶんと達観した人物として描かれていたのに。それほど自分の持ってる官位をすべて剥奪されることは、たとえ荘園からの上がりがあって生活に不自由しなくても、死刑にも値するほどの仕打ちだったことがよく分かる。フィクションとはいえ、ステイタスがなければ人間じゃないみたいなのは、当時の常識だったのだ。そう考えると引きこもり、ニート、オタクなど、どんな人間にも何らかの肩書き、位階が考え出されてるのを眺めていると、文字通りそのひとの状態を表すStatusを与えているだけなのに、あいかわらず階級で差別することをやめられない社会に見えてくる。それがインドのカーストだと固定されていて、日本だと変動するというだけの違い。それとも人間という存在、社会の本質がそういう差別化にあると言われれば、あ、そうですか。というだけだが。

what you take

結局、桔梗湯ではノドの腫れは少しも治まらず、睡眠の妨げになるほどになってきたので、やむなく元の総合感冒薬を飲み続けてどうやら治まってきた。もう1週間になる。

雨が降ったのでバイクを会社に置いて電車で帰宅することになったのだが、持ってきた本を読んでしまい、かつ、その本が技術系だったので再読したくなかったこともあり、いつもの神田駅前いずみ書店にて、出たばかりの福岡伸一「世界は分けてもわからない」を購入。これもどちらかといえば技術系じゃねーか・・・。ちなみに彼のブレイクのきっかけとなった新書は未読で、この本が初体験となる。読売の書評はいつも読んでるけど、どこがいいのかあまり分からなかった。当り前か。

以下、メモというか抜き書き。

消化は何のために行われるのか?小さく砕かないと吸収しにくいからです。現象面だけを見るとこの答えでも間違いではない。が、消化のほんとうの意義は別のところにある。前の持ち主の情報を解体するため、消化は行われる。食物タンパク質は、それが動物性のものであれ、植物性のものであれ、もともといずれかの生物体の一部であったものだ。そこには持ち主固有の情報がアミノ酸配列として満載されている。

ここまで読んでへ―っと思った。その前で生命現象の本質というのが、エネルギーと情報の「流れ」にあると著者が書いていたから。要は他の持ち主の情報を一旦クリアして、自分の情報との衝突や混乱といった「情報戦」を避ける、少なくするのが、消化という現象なのだ。なるほど上手いこと云うねえ。

Gil E Jorge

ロックの世界を紐解くとMillion Dollar Quartetという事件、というか伝説がある。Elvis Presley, Johnny Cash, Jerry Lee Lewis, Carl Perkinsという後の高給取りたちのセッションが記録として残された、いまだったらチャリティ・イベントなどでしか実現できない夢の競演である。メンフィスのSun Recordsというマイナーレーベルのスタジオで録音されたために、権利関係のクリアに時間がかかり、リリースまで20年以上かかったらしい。

1975年にリリースされたGil E Jorgeを聴いて、思い出したのがこのミリオン・ダラー・カルテットだった。人数は半分だし、マーケット的にはずっと狭い範囲だけれども、ブラジル音楽界でいえば同じく、後の大物たちによる若気の至りセッションである。

それにしても、初めて聴いた時の「なんじゃこりゃ」感は強烈だった。誰か止める奴はいなかったのか、と。しかし、聴き続けていると印象は大きく転回していく。ほとんどスタジオ・ライブの一発録音らしいという情報もネットで見かけたが、30年以上経過しているのにまったく音楽が古びていない。アコギ2本とベース、簡単なパーカッションで延々歌合せ。そのスピード感、躍動感、珍妙なサウンドなどなど、もう素晴らしいの一言に尽きる。それがDiskUnion新宿中古センターで500円。ブックオフで椎名誠の文庫買う前に、まずは新宿中古センターへ行こう。

先日、そのセンターにて300円で購入したRy Cooder & Manuel Galbanのアルバム「Mambo Sinuendo」が大のお気に入り、最高だーな。Martin DennyとかArthur Lymanのことを思い浮かべた。それらを聴かなくなって20年近く。Buena Vista Social Clubにはピンとこなかったけど、こっちはキターッ。

sick and reading

冷房でノドを痛めて発熱なんて久しぶり、カラダが弱った証拠だろう。寝床でうなっているオヤジを尻目に子どもたちは夏休み入りしてウキウキしているようだ。ずっと寝てばかりもいられなくて、図書館から借りっぱなしになってた本を読む。「金魚生活」は芥川賞を受賞した楊逸(ヤン・イー)の小説で初めて読んだ。最近の文学賞は外国人作家に授与するケースが続いているようにみえるけれども、基本的に綿谷りさとか金原ひとみなど若手の受賞と同様、話題集めの狙いなのだろうか、などと思いつつ。これだけ日本語で書けるってすごいと単純に感心させられる。カルチュアギャップは当たり前としても、日本の生活にだいぶなじんできた娘夫婦たち、そして日本で長く暮らす中国人婦人を登場させて2重なイビツさを演出してるのがウマイ。とはいえ、主人公がドンキやペットショップに親近感を感じるのはユーモアなのか。ドンキってアジアを感じさせるし。フフッと笑ってしまう。

関係ないが、私の体にはパブロンは合わないことが分かった。今回の症状だけなのかもしれないが、新エスタックイヴと比べてその効果には歴然とした差があった。そして、もう一冊は向田邦子全集のその2小説「あ・うん」。全集の1巻目はクラーい短編集で読んでいて気分が悪くなる作品が並んでいて、完成度云々の前に私にはちと向かないなと思ってた。にもかかわらず2巻目も借りてみたのは、ひょっとしてという気持ちがあったから。そしてその予想はあたった。門倉と水田というふたりの男を中心にした物語は短編集の形をとりながらも繋がっていて完成されてる。秀逸だと思った。ヤン・イーファンには悪いが日本語の豊かさでいったら足元にも及ばない。マーケットが求めてるかどうかを別にして、こういった作品をリリースし続けるのは大事なことだと思う。「あ・うん」を読んだあとに途中で止まってた漱石の「明暗」を読んだら、妙にスムーズなのが不思議だけど納得できる感触だ。これでまた橋本治の源氏物語に戻ろーか。それとももう少し椎名誠読んでみようかなー、へへ。

installation and wiring

PCのグラフィックカードがお亡くなりになった。水曜日、PCの前でJerry Garciaの本を読んでたら、急に画面が消えてブラックアウト、アレレっと思って再起動すると元に戻るのだけれど、再びブラックアウトして、再度起動しなおすと今度は画面が乱れていて判読不能。終いには勝手に再起動し続けるという不具合。OS自体は動いているみたいなので、これはグラフィックカード不良と判断して、休みの今日、次男を連れて近所のPC Depotに行ってテキトーなカードを購入

しっかし最近のはデカイね。ファンが付いてるタイプがほとんど。うるさいのは嫌だったので、これまで使っていたのはファンレスだったが、あきらかに熱で逝かれた様子だったので、今回はファン付きのものを選択。あとTV Outがあるヤツね。これPCで録画したサッカーの試合をTVで見られるので便利なのだ。んで、開封していざ装着という段階になって、その想定外の大きさに驚く。店の陳列棚で見てるのと、実際に自分のPCのスペースに設置しようとしたときのギャップは大きかった。入らないんじゃないかと思った。

そんでもって、苦労して筐体内の配線を整理しているうちに、HDDのSATAのケーブルコネクタを壊す。けっきょくケーブルもコネクタにロックがついている新しいものに交換。吉祥寺ヨドバシって何でもあるのね。写真のように何とか収めることができたが、ほとんど使わなくなってたフロッピードライブと使わなくなってた、というか使えないUSB Removable HDD装置につながっているケーブルを撤去。だいぶすっきりした。筐体内の空気の流れも改善されたのではなかろうか。ツール第8ステージも問題なく録画できた。放送中は寝てたので未観戦なのだが。久々に腹が痛くて目が覚めて胃薬飲んでハイボール啜りつつ珍しく夜更かし。やっぱり炭酸ってオレの胃に刺激強すぎなのか。

anti dope anti sport

今年のツールはここまでのステージが、去年までと比べて楽しく感じられるのはどうしてだろう。選手のプロファイルがある程度頭に入ってきたのもあるだろうし、巷間話題となっているランスの復活や日本人選手の活躍も大きい。これで、いつものようなドーピング発覚による出場停止などが起こらなければ、より楽しめるんだけどなあ。それにしても毎年必ず違反する選手がステージ半ばで拘束されるのはナゼなのだろう。

これはわたしの勝手な憶測に過ぎないが、あれは欧州スポーツ界のダークな部分がチラリと顔をのぞかせる瞬間なんじゃなかろうかと思う。その歴史背景、伝統や経済効果など、スポーツイベントとしてツール・ド・フランスはトップクラス、関係する機関や人間も相当なスケールなわけで、サッカー選手の代理人みたいに訳分からん人たちが絶対暗躍しているに違いない。だから、莫大な利益をめぐって毎年綱引きが行われて、負けた方がドーピング情報を当局に流して、レースの雰囲気を台無しにするような動きにでる。これはまったくの私見だが。

ひとことでドーピングといっても、各スポーツによって基準はまちまちで、サッカーなどリーグごとに違う。だから、イングランドでは問題なくてもイタリアではアウトとなるケースもあるらしい。昔ヤープ・スタムというオランダ人選手がManUtdからMilanに移籍してすぐ検査で引っかかったことがあって、原因は国(リーグ)による基準の違いだったと記憶している。

さて、自転車ロードレース界の基準は具体的にどんな感じなのだろうか?以下の記事に分かりやすく記されているので、その中から一部抜粋。

http://www.actiblog.com/cyclingfan/40493

禁止薬物が非常に多く、現在自転車ロードレースでドーピングと呼ばれているものは日常にあふれています。近くの薬局やコンビニでも売られているものまでが対象となっているのです。たとえば、仕事の疲れを取るために誰もが飲むような栄養剤は必ず引っかかります。風邪薬も同様です

んでもって、全選手が検査対象、24時間いつ抜き打ちテストが行われるかわからないという何だか大変なことになっている。ランスのTwitterでも抜き打ちが行われた時はいちいち報告されていておもしろいが、そういう呟きからは徒労感ばかりが漂ってくる。オフィス勤務のデスクワークならいざしらず、1日の走行が200キロを超えることだってあるスーパーアスリートにこの基準は聴いただけでも厳しいと思う。オレなんか自転車通勤したあとはアミノバイタル飲まないと翌日使いものにならんからな。自転車ロードレース界の目指してるところがイマイチ分からん。

voice out

平日の朝、家にいるときは、子どもたちの宿題に含まれている音読の聞き役を務めることになる。教科書のときもあれば、自分の好きな本をピックアップするときもあるようだ。いつもボーっとしながら聴いているので、きょうは長男の宿題が片付いたあとに私が読むのも聴いてもらうことにした。で、たまたま手元にあった「ランボウ全詩」から適当に選んだのが「轍」。タイトルからして小学校4年生には読めないよなあ、と思いつつ。いきなり漢字多いな・・・靄ってどう読むんだっけ?ああ「もや」だ。といったようなことを、読み上げながら、頭の中で並列処理していく。もちろん初見だが、こちとらいいとこ見せたいばっかりに脳みそフル回転、短い作品だけどけっこうな脳力が必要だった。なんとかつっかえることもなく読み終えることができたが、聴き終わった長男は「よく分からない」、当たり前だよな。ランボウのイリュミナシヨンってたぶん古地図みたいなもんで、いまの子どもたちが興味を持つにはハードル高すぎなのかも、あ、オレにとってもそう。いちおう「轍」の意味だけは説明しておいたが。

粟津則雄翻訳のランボウはよくよく読んでいくとちょっと凝った語句が多い。「轍」だけでも、さっきの「靄」、まあこれは読めるかもしれないが自分じゃ書けない部類。「夢幻劇」というのは多分夢のなかの劇?「疾駆」意味は分かるけど使わないよなあ。「曲馬」曲芸をする馬、サーカス団にいるのかも。ほかにも分かりそうで分からない言葉が多い。「止め縄」、「牧人劇」、「夜間用の幌をかけた柩」、「前立を立て」、「だく足」などなど。短い詩のなかにはたくさんの象徴的な語句が埋め込まれてるのを、粟津が豊かな日本語に変換しているというわけだ。100年以上前の作品だけど、「古地図」を読むように、そういった言葉を手がかりに読み解いていくのが楽しみ方なのだろう。だから、あーめんどくせーなーとか思った時点で負けである。ヘラブナ釣りと同じ。といってもやったことないが。むろん古地図なんて手にしたこともない、すべて想像にすぎない。勝ち負けなんてどーでもよいのじゃ。

でもイリュミナシヨンだからねー。100年以上前のイメージを伝えることができる、という可能性がすごいのか。フランス語で聴いたら音がかっこいいのかもしれないし。だいたい意味よりも、音響というかサウンド派なのだ、わたしは。ということでフランス語音声ファイルを探し出して聴いてみたけど、100年前の映像は残念ながら見えてこなかった。

むしろ、グーグルの翻訳サービスによる日本語訳がファンキーで秀逸、気に入った。以下「轍」の訳。

夏の夜明けの葉とはガスや公園のこのコーナーのノイズと、右の轍のついた道路盛土呼び起こす高速マイルのウェットその代わりに紫色の影を残した。 パレードféeries 。 実際:戦車を全速力で20サーカスの馬と子供と男性は、ほとんどの牛の発見金色の見事な木の棒や色のファブリック、動物ロード; – 20車両バンプ、テイルズ古い砦やコーチと子供attifésでいっぱいの郊外の田園と花。煙夜の天蓋の下で-棺黒檀も上昇し、回転する大規模な青と黒馬繋駕速歩レース。

ね、何だか新鮮なイメージが涌いてくる。とくに「動物ロード; – 20車両バンプ」って何のことかさっぱり分からないけど、ぶっ飛んでる感じがステキ。こっちのほうがランボウの見てたものに近いんじゃなかろうかとさえ思う。すごいぞグーグル翻訳。

最後にセイゴウの熱い、というか暑苦しいランボウに関するコラムご紹介。

via 松岡正剛の千夜千冊

アルチュール・ランボオ 『イリュミナシオン』 1951 金子光晴 訳 角川文庫
Arthur Rimbaud : Les Illuminations 1875

A dinner at Kanda

ラーメン あたみは神田駅のそばにある変わった店だ。忙しくて夕食を逃していたわたしが仕事帰りの道すがら、何か食べるものはないかと探していたところに飛び込んできたのが黄色い旗の「あたみ」。予定としてはガード下にある有名な卵料理の店、もしくはクイックな吉野家という感じだった。しかしラーメンも悪くない、と店先に出てるメニューを見てみると比較的安い値段で食べられることが分かったので、ちょっと奥まった入り口へと向かった。「夜はお酒飲めます」という但し書きが気になったが。

そして、はめ込みガラスの引き戸を開けると、そこはには仕事帰りのおじさんたちが焼酎を傾けながらラーメンをすする姿があった。当たり前か。しかし、ラーメンのメニューはあるのに、飲み物のメニューは店内を見回しても見つからない。あすも仕事だから飲む気もなかったので、とくに気にしなかったが、どこかで見たようなブランド焼酎の一升瓶が一番目立つところに並べてあり、焼酎が売りなことが分かる。

そして、わたしは野菜ラーメンをチョイス。650円。自家製麺にしては安い。そしてこのエリアには私が人生でもっともマズいと感じたラーメン屋もあったので、不安がないわけではなかったが、それはそれと腹をくくって待つ。主人は悠々とフライ返しを手にすると、使い込んだためか、はたまたそれがスタイルなのか先端が激しく反り返った金属部分を使って不器用な感じで野菜を炒めると、つぎは麺にかかった。

おーこれが自家製なのかと思うまもなくお湯に投入され、しばし待つこと3分くらい。しかし、まだ上げない。それからしばらく麺を慈しむようにお湯の中でかき混ぜ続けるオヤジ。あー失敗したか・・・という思いが頭を過ぎる。椎名誠の本を読んで、ラーメン屋に緊張感があってはいけないと書いてあったが、ここはそんな緊張感とは無縁な世界である。いつまでたっても麺をゆで続けるマスター。あれじゃグダグダ麺になっちゃう、と半分あきらめたころようやくスープを準備、満を持して麺を器に上げると先ほどの先端が反り返ったフライ返しでまたまた不器用に野菜を盛る。ここまでで私の期待値はかなり低くなっていた。

そしてようやく私の目の前にレンゲを添えられて登場。

スープをヒトすすり。悪くない。そして麺をほお張った次の瞬間、ムムム。こ、こ、これはいったい。どういうわけなのか。この腰はいったい。麺がウマイ。野菜も歯ごたえを残した絶妙の炒め具合。これはおいしい。あとはゆっくり味わいながら最後までいただいた。店のプレゼンテーションとこのラーメンの完成度。なかなか結びつかないと思う。夜23時までの営業は呑み助オリエンテッドな姿勢ながら、店の中にはラーメンのメニューのみというわけが少し分かった。ここはラーメン屋なのであって、けっして飲み屋ではない。あしたは酒を頼んでみよう。