TSUTAYA

roof

きょうは半額レンタル中ということで、長男と一緒にTSUTAYAに行ってDVD10本借りてきた(長男のチョイス、グレムリン2、ナルト含む)。ラインナップは店によってばらつきはあるものの、それなりのものは揃っている。が、いまから15年前くらいに私が通っていた下北沢南口商店街の小さなレンタル・ビデオ屋に比べると格段につまらなくなってきている。

普段利用しているのは馬事公苑の店舗(我が家ではツタ君と呼び親しんでいる)だが、ここ何年かで、私の好きなラインナップは、縮小はしても、けっして拡大や、新鮮味を増すことはまったくといってなかった。(最近ではアルトマン・コーナーが無くなっているのに気づいて愕然とした)店舗の規模に左右されるのかもしれないし、利用客のプロファイルに応じた編成になっているのかもしれない。渋谷まで足を伸ばして、探せばいいということなのかなあ。それとも、単にわたしが歳を喰って、趣味が偏狭になってきたせいでそう感じるのだろうか。

関係ないけど、昔読んだ「最高の寿司」の特集みたいな記事ですごく印象に残っている玉村豊男さんのコメントで、すし屋っていうのは、そもそもコミュニティに根ざしているべきで、寿司を食べるためにわざわざ遠くまで出かけて行くもんじゃない、近所に気に入った店があれば、それが最高のすし屋だ、と言っていたような記憶がある。

まあ、話をレンタルDVDに戻せば、べつにカルトな映画ばかり置いてあるのがいいとは限らないし、フランチャイズ・ビジネスとして成り立たせるためのラインナップと考えれば、TSUTAYAは頑張っているほうだとは思う。もともとカルチャー・コンビニを標榜していた会社だから、コンビニに個性を求めるのがそもそも違うのだろう。大きくなったTSUTAYAだが、DVDソフトの低価格化や濫発気味の半額レンタル・サービスなどを見てると、ビジネス自体がヤバイのかとも思う。

近所のすし屋みたいに、きょうはこんなネタがおいしいよ、みたいなレンタル・ショップがあったらいいのになあ。私自身は経験ないけど、むかしの古本屋とかレコードショップってそういう「会話」があったと聞く。松浦弥太郎さんのやってるCOWBOOKSみたいなレンタル・ショップとか、ラインナップで勝負する店が近所に欲しいものです。

最近見てよかったDVD

Western Fantasy

outlaw パッケージもユニーク!

つい先日、「ミリオンダラー・ベイビー」でオスカー4部門を制覇したクリント・イーストウッド。最近、過去の出演作をDVDで見ている・・・その彼が監督、主演をつとめた「アウトロー」(1977年)は南北戦争のころを舞台にした西部劇の傑作といわれているらしい。細部にこだわらず見れば、イーストウッドらしさが感じられるストーリー展開と後味を堪能できる。まだ煙の立っている焼け跡から素手で自分の銃を拾い上げたり(銃身が熱すぎると思うぞ!)、農夫だった主人公が視力にも影響あるんじゃないのかと思われるほど顔に深い傷を負いながら、早撃ちになる過程があまりにも早すぎるなあ・・・などとひっかかるところはある。ただ、コンセプトは「フォレスト・ガンプ」を先取りするものだし、西部劇というスタイルで演出された「渡る世間は鬼ばかり」ということで見ればかなりユニーク。アメリカ合衆国建国200年の特別企画だから、ある程度ファンタジーも必要だったのかもしれない。どだい私にとっては西部劇じたいがファンタジーなのに、そこにリアリティを求めてしまうのはおかしいことだ。とはいえ個人とコミュニティを謳いあげるこの作品が建国記念の企画としてまかり通るアメリカは不思議な国だ。そして、その国で社会的なアウトローを描き続けるイーストウッドは本当にユニークな映画作家だと思う、あの「華氏911」を撮った人物よりずっと。

アウトロー 特別版 / The Outlaw Josey Wales

Spiritual Force

近所の図書館にある「ご自由にお持ちください」コーナーで見つけた本、「空海の世界」が面白い。空海の人となり、密教の世界が彼の残したキーワードをきっかけにして分かりやすく解説してあるのでとても読みやすいということもある。彼が没した高野山という真言宗の総本山を、ほんとうに子どものころ、家族旅行で訪れた記憶があるが、とてもリゾートとは程遠い場所で、おそらく父親が当時そういったものに興味を持っていたと推測される、今度聞いてみよう。とはいえ、子どものころの記憶には宗教的な体験として何も残っていない。
あのエリアには熊野という、これまたスピリチュアルな磁場の強い場所があり、南方熊楠や中上健次の著作の舞台としても知れ渡っているけど、最近は、世界遺産の指定を受けてツーリストが急増しているというニュースを見た・・・行ってみたい。
場所の持つ意味ということで言えば、わたしの職場付近はすべて「日本橋本町」「日本橋堀留町」といった形で「日本橋」というのが接頭句としてついていて、町じたいはマンション建設もあちこちで進んですっかり近代的だけど、名前に残っていることで何となく由緒正しい感じがするし、目に見えない感覚的な部分だが町のもつオーラみたいなものがある。ちなみに日本橋堀留町は昼夜の人口差がかなり大きいエリアのようなので、錯覚といわれればそうかもしれないが、何百年という長期にわたって人が住み続けた「残像」みたいなものがきっとあるのだ。当時は未開の山地だった高野山に空海が精神のよりどころを見つけることができたのは、その場所の発する何かを感じ取ったからに違いない。そこじゃなければだめだったわけで、大地や自然と交信する能力を人間は持っていた証拠といえる。

空海の世界 / 仏典を知る

Brown Eyed Handsome Man

BrownEyedHandsomeMan

最近はアマゾンを利用することが多かったけれども久しぶりにアメリカのオンラインCDショップで買い物をした。カントリー系の音を中心にしたお店で、知らない名前がたくさん並んでいるけれども、サンプル音源とユニークな解説が読んでいて楽しい。
今回買った中でもっとも楽しんでいるのはアメリカ、セントルイスのコミュニティ・ラジオ局KDHXが企画したチャック・ベリーのトリビュート・アルバム。パッケージから選曲、アーティストのバラエティに富んでいることなど、ものすごくクオリティの高さを感じる。これが、一コミュニティ・ラジオの生んだ商品というのだから、まったく恐れ入る。こんな素敵なCDを日本のメジャー局、レコード会社が出せるのだろうか。バラカンさんの番組以外ではかかりそうもないし。まあ無理かもね。でもアマゾンで買える・・・

Brown Eyed Handsome Man: St Louis…

FridayNight

FridayNight

時の過ぎるのは早いもの、先週とある集まりで六本木で朝まで過ごすことになった。昔はもっと歌えたと思うカラオケとか、懐かしい感じがした。多分に自分が齢を重ねたということも大きいと思うけれども、今から10年前、もうバブルも終わってたころなのに、いわゆる「底抜け感」が全然違っていた。あの頃はどうして、あそこまで意味もなく盛り上がれたのか?そのころ一緒に仕事をさせてもらった方たちと、お互い「あれは何だったのか?」と話すこともあるが、実際何が変ったのだろうか。もちろん時代が変ったといえばその通りだし、ひとりものが新しい家族の一員となり、取り巻く環境が大きく変り、それにつれて考え方、何がプライオリティなのかということが不可逆的な地殻変動を引き起したとも言える。それはごく自然なことだろう。そして、大事なものだけが残っていくのだろうか。

Mr. Incredible

incredible

長男とともに吹き替え版で見た。行きの車の中では、中村一義の百式ニューアルバムを試すが、いまいち。ディペッシュ・モードのリミックス・アルバムの方がいまはフィットする。長男も気に入った模様。平日の初回ということでガラガラのシネコンにて、巨大なポップコーン・バケツと飲み物を抱えて鑑賞する。途中、2・3箇所で「怖い」と言って引いていたが、大体はいつものように集中して見ていた。父親役の声優が三浦友和というエンド・クレジットに、反応する観客多し。よく出来てます、笑えます。ただ、わたしは予告編で十分という感じでした。ピクサーって、完璧を目指すあまり逆に心を揺り動かされるような作品を生み出せていないような気がします。ティム・バートン製作の「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」の肌触りみたいなものが欲しい。ランチは怜さんオムライス、私は坦々麺。素材としてはたいしたもの使ってないだろうし、心を揺さぶる食事ではなかったけど、子どもと一緒だとおいしいものです。ということで帰りのミュージックはCCR。ボックスセットから1970年の録音を集めたディスクを聴く。ミネラル豊富な音楽です。息子はジョン・フォガティの甲高いヴォーカルを聴きながら居眠り。なんとも幸せな一日でした。

Mr. インクレディブル 公式サイト

IT

rey

いつまで続くか分かりませんが、データ・センターでネットワーク管理の仕事をはじめました。研修が終わり、たったひとりで12時間にわたってアジアのネットワーク監視、メンテナンスの手伝いをしています。さっきはシドニーのスタッフと話しましたが、強いなまりで聞き取るのに苦労しました。インドとオーストラリアの英語が合わさって、それはもうスパイシーな響きが感じられました。

リー・ストリンガーという作家の「グランドセントラル駅・冬」という本を読みはじめました、NYでデザイン事務所を構えるまでになった作者が、いつしかドラッグにおぼれてホームレスとして街を彷徨うというダメダメな内容ですが、とても惹きつけられる文章です。

Saipan

Saipan

12月のはじめにサイパンへ家族旅行に行ったのが、何だか遠い昔のような気がする。今になって、日が落ちてひんやりした空気の中をひとり歩いていると家族と共に過ごした時間が余計懐かしい。 旅に出るとつい未知のカルチャーを探し求めてしまうものだが、今回はそういったものに遭遇する機会がほとんどなかった。しかし人間が暮らすところ、おいしいものを安く食べるとか、ローカルのイベントに参加するとか、時間をかければ可能なのだろうと思う。そういう意味でサイパンは私のような家族旅行には逆にハードルの高い行き先なのかもしれない。

Memo

nihonbashi

「サラエヴォでゴドーを待ちながら」というエッセイは「この時代に想う テロへの眼差し」という本に載っているエピソード。著者のスーザン・ソンタグが、戦争状態にあるサラエヴォに出かけていって、物資も照明も足りないところでベケットの「ゴドーを待ちながら」を演出したときのルポ。人間として生きるために芸術は絶対に必要なのか。

そして、アーヴィングのサイダーハウス・ルールも終盤に差し掛かっている。これも戦争が大きな影を落としているストーリー。

ジョン・フォガティの新作をアマゾンで購入。Deja Vu All Over Again 全編34分というコンパクトなアルバム。今年唯一購入したCDとなるかも。ジョン・フォガティとブライアン・ウィルソンて似てる。どちらも最初のグループには親族がメンバーにいたし、本人はグループを抜けたあとも断続的に活動を続けていて、最近はジョン・フォガティが反ブッシュ・キャンペーンのためにオーガナイズされたツアーに参加しました。またブライアンは来年早々に日本を訪れる予定です。