たまたま図書館の新刊コーナーに並んでいた金七紀男著「ブラジル史」。読めなくても、パラパラ眺める程度でもいいや、と思って借りてみた。意外と言っては著者に失礼かもしれないけれど、面白い。ブラジルに最初に到達したヨーロッパ人はご存知のとおりポルトガルのプロデュースで、彼の国が派遣したペドロ・アルバレス・カブラルのチーム。あの有名なバスコ・ダ・ガマのインド到達ツアーに次ぐ、第2弾インド・ツアーとなるはずだった西暦1500年、なぜかブラジル沖に到着。そしてカブラル大将はこの地を「ヴェラクルス島」と名付ける。根拠はこの本に書いてありませんでしたが、ブラジルはもしかするとヴェラクルスだったのかもしれないのです。
ブラジルの特産品といえば、コーヒーというのが私のイメージですが、カブラル大将が到達してからメインとなったプロダクトは「パウ・ブラジル」という樹木。コイツの心材が赤の染料剤に利用されるということで、毛織物業が盛んだったフランドルに輸出されたそう。年間1200トンだと大した数字には聞こえませんが、時代が16世紀なので、そんなものなのかもしれません。重要なのは、このパウ・ブラジルが特産ということで、彼の地の呼び名がヴェラクルスからブラジルに変わったということでしょう。土着の名前だったのかもしれませんが、これが「パウ・フンドシ」とかだったら、レアル・マドリのカカはフンドシ代表、ブラジリアン・ミュージックといわれているのがフンドシリアン・ミュージックということになったかもしれない、などと下らないことを考えて、夏のある暑い日に私はひとりほくそえみながら駅の階段を下りてました。
ちなみに、パウ・ブラジルの後に続くブラジルの特産品は、砂糖、金、コーヒーだそう。
NHKで井上陽水の特集を放送していたけれど、彼が70年代に大麻を吸って起訴され執行猶予の刑を受けていたことはまったく触れられてなかったのが気になった。小学校のころからその歌声に魅了され、中学のころには毎日自室でフォークギターを抱えて、1曲歌い上げてから登校していたアタシとしては、当時かなりショックを受けたニュースであり、陽水に対してその体験が及ぼした影響を知ることができるのかと期待していたが、まったくのスルー。リリーフランキーと対談してる場合じゃないだろ、と思った。ノリピー、お塩の覚醒剤服用のインパクトがNHKに余計な配慮をさせたのかもしれないが、今回のエディットによって、図らずもこの作品は後世に残るものにならなくなったと思う。陽水原理主義的なファンとしてはまったくもって残念だけれど、これが世の中の流れなのかもしれない。本人インタビュー含め、とにかく浅い。
ちなみに、わたしの陽水ベスト・トラックは清志郎との共作、星勝アレンジの「帰れない二人」。