次男と一緒に井の頭公園へ。花見客がビニールシートを広げて酒盛りしていて、花びらが一面に浮いている池は漕ぎ船でいっぱい。ケーニッヒでソーセージとドイツビールを買っていただく。
Susan Blackmore著/山形浩生訳『「意識」を語る』NTT出版は図書館の新刊コーナーで偶然手にした本のうちの1冊。すでに次の方の予約が入っているようなので、ある程度話題になっていると思われる。タイトルどおり、さまざまな科学者、哲学者が「意識」をめぐって放言のかぎりを尽くす(訳者)。それを仕切るのがこちらも曲者臭が強いスーザン・ブラックモア女史である。その手の筋では有名らしいがワタシにはほとんど初めての人ばかりじゃった。インタビューをまとめたものであるからして、分かりやすそうなものなのだが、んーワタシの頭では内容はほとんど理解不能。それでもナンだか読めてしまうのは翻訳が素晴らしいのと、インタビュアーのスーザンが優秀なおかげでありましょう。
「哲学者のゾンビ」という思考実験について皆さんマジメに答えているところが面白かったが、気になったのは放言をしている科学者たちのほぼ全員が「意識」とは脳の働きによって生まれると語っていることだ。ニューロンとかクオリアとかどこかで耳にしたキーワードが繰り返し出てくるのだけれど、果たしてそれらはほんとに脳だけで形作られるものなの?という疑問が湧いてくる。ワタシには脳だけで「意識」が生まれるなんて理解できない。そうじゃなくて脳を含むカラダ全体、そしてそれを取り囲む環境などが意識を作り出してるんじゃないのか?だから脳だけ研究してても、辻褄の合う理論なんて永遠に出てこないし、哲学者のゾンビもありえない。なぜなら立っている場所ひとつとっても、別の人物がまったく同じポイント、つまり同じ緯度、経度、高度を共有することは絶対にないし、もしまったく同じ場所に存在しているのだとしたら、それは別人ではありえないからだ。
それにしても、アメリカにはこんなインタビューに柔軟に対応できる優秀な科学者がゴロゴロいるんだということに感心した。つくづく面白い国だ。