「野生の思考」でクロード先生がおっしゃってます。
職業語の場合がそうであるように、概念が豊富であるということは、現実のもつ諸特性にどれだけ綿密な注意を払い、そこに導入しうる弁別に対してどれだけ目覚めた関心をもっているかを示すものである。
はあ、なるほど。わたしの妻は家族に対して、その時々でさまざまな呼び名を思いついたように名付けている。長くその名で呼ばれることもあるが、短命に終わるニックネームもある。そういった呼称のほとんどは論理的に導かれるというよりも、ほぼ直感的、感覚的であり、他人が聞いて理解できるような代物ではないと思う。が、家族の間には何となく暗黙の了承が結ばれているような気がするのは、もちろん長い時間をともに暮らすことで形成されるコミュニケーションがあるから。それにしても、こういったことが彼女の注意力や関心のありかを示しているとすれば文字通りありがたいことだ。