長男の運動会がきょう曇り空の下で行われた。相変わらず涼しい気候で運動には好都合。平日開催なので父親の参観が少ないのはしょうがない、その分撮影のためのポジショニングは週末開催の場合よりも楽だったのではなかろうか。最近はデジイチガンを構えるひとが本当に多い。わたしのヘッポコカメラはコンパクトさと安価なのがポイントなので、こういったイベント時にはとくに引け目というか頼りなさが倍増する。とくにバッテリー周りの接続不良っていうのは機種を問わず頻発する。まだまだ使える電池のはずなのに、ディスプレイには電池切れの赤いサインが点滅・・・前のオリンパスもそうだった。夜勤明けの帰り道、カメラ店でデジイチガンに触ってみたけど、確かにシャッターの切れる感じは銀塩フィルムカメラとほとんど変わらないし、信頼性も相当高そうなのが分かった。しっかし、安くなったとはいえいま使ってるカメラの4倍以上はするし、しかもバッテリーに単三電池とか使えそうにない、画素数がデカイからメディアの容量も必要らしい。ということはすなわち、ゆくゆくはPCのHDDキャパ増強も要求されるわけだ。けっきょく機動性とかメンテナンスのコストを考えると、ヘッポコデジカメのほうがいいような気がする。画素数なんて5メガもあればプリントしたって遜色ないし・・・って書いてると負け惜しみみたいだな。ロト6が当たったら最高級デジイチガンとMacの最高機種を買うことにしよう。ふーっ、なんて贅沢。ってオレは何をしたいんだ?
The working man
Bagombo
Budapeste
standard
buzzati
短編集「石の幻影」がおもしろかったブッツァーティ。彼の代表作として有名らしい「タタール人の砂漠」読了。基本的な構造は「石の・・・」と同じ。ある青年兵士が年老いて死ぬところまでを描いているという点では、ずっと長いタイムスパンなわけで、タタール人の脅威と最後まで接触がないのも異色さで際立つ。すべてから中途半端に距離を置いて人生を送ってきて、けっきょく「死」を意識してはじめて、直接触れ合ってやり取り、格闘できる相手を見つけた安堵感を得る。そして笑みを浮かべて死んでいくというスゴイ構成。すごいわ、ブッツァーティ。
total: 4948.6km
turf
皇居前を走るときにいつも印象的なのは、手入れの行き届いた芝生。本当にベストの状態を保とうという意思が感じられる。とくにいまの時期は本当に美しい。ヨーロッパのサッカー場で使われているものとは違い、日本の芝は冬に枯れてしまうタイプなので、ことメンテナンスに関しては同列で語れないのかもしれないけれど、これだけすばらしい芝生がもっと広がればいいのにといつも思う。
夜勤明け自転車帰路は4日目ともなると、けっこうキツイ。
Total: 4892.4km
mileage
夜勤明けのきょうは暑くて、風も強く、自転車通勤にはまったく適してない日だった、ふーっ疲れた?。
total: 4836.6km
yellow
music biz
夜勤明け。午前中の降水確率80パーセント、見上げればいまにも降ってきそうだったから、職場に自転車を置いたまま電車で帰宅してみれば、あらら・・・まだ降ってこない。なんだよ自転車乗ってくればよかったぜえ。と変にムカつき。犬の散歩に行こうとしたら、とんでもないところにウンコしてるじゃないか、まったく。いっぺん殺したろかと殺意を覚える。サボテンを枯らしてみたり、飼い犬に殺意を覚えたりと、つくづく自分は生き物との関係を作るのが下手なのだなあと感じる。
だが、良いこともあった。帰りの電車に乗るJR神田駅そばには本屋チェーンの比較的大きな店舗があって書籍だけでなく、CDやDVDも置いていて、店内の端末では数百枚のアルバムのすべての曲を30秒くらいずつではあるが試聴できるようになっている。開店時間を過ぎたばかりで人もまばらな店内でしばし試聴に専念。
もっとも印象に残ったのは「勝新太郎、ザ・ガードマン、江波杏子他 / 実況録音盤!歌いまくる大映スター」。時代がかったMCも秀逸だが、実際のステージをそのまま収録してあるので、緊張のためビミョウにセリフ噛んでる宇津井健とか、このステージのためにみずからの舞台の千秋楽を繰り上げたという勝新太郎の殺陣実演(サンプルは途中で切れているためどんな音か不明)など、興味深さではほかのアルバムを大きく引き離していた。ぜひ地元図書館で購入して欲しいものだ。
いつまでも試聴しているわけにもいかないので、重い腰をあげて出口に向かう途中、最近はほとんど足を止めることこともない音楽専門誌コーナーで気になる背表紙の文字「ニルソン」を発見。引っ張り出してみると、表紙にはニルソンのアルバムがあしらってあるほか、フランク・ザッパ、グレアム・パーカーの文字が踊っているではないか・・・これは買わざるを得ない。残念ながらGPのインタビュー以外はリイッシューがらみのチョウチン記事ばかりで、これといって得るものはほとんどなかったが、ニルソンのアルバム・レビューがこうやって雑誌に載っているのを読むだけでもゾクゾクした。
それにしても日本の音楽業界(とくに再発モノ)というのは紙ジャケ天国と化してるようだ。バラカン氏がラジオで言ってたのは、何でもレコード会社はこういった比較的値段設定の高い紙ジャケを限定数だけ作って、増刷をしないという傾向があるということ。だからいま市場に出回っている分がハケればそれど終わり、お金を貯めて買おうと思ってる間になくなってしまう可能性もあるわけだ。
ライノとかヒッポとか再発専門レーベルならいざ知らず、仮にもメジャー・レーベルとよばれる会社でそんなビジネスをせざるを得ないのがこの産業の逼迫した状況を表しているのだろう。紙ジャケになるのは限られたアーティストだけだし、安く提供されているカタログもあるにはある。ただ雑誌などのメディアでは、再発される紙ジャケのほうが取り上げやすいし、レコード会社の広告も期待できるからこうやって特集が組まれてるわけだ。
こういった音楽業界のビジネス構造はipodの登場で変化しているのかもしれないが、持ってないので良く分からない。ただ、レコード会社が契約したアーティストのCDを売って利益を得るというスタイルがそんなに長い間続くとは思えない。最近etree.orgから(もちろん無償で)ダウンロードしたGrateful Deadの1969年4月5日サンフランシスコでの質の高い演奏を聴きながら、おなじ音楽産業とはいえ、まったく独自の考えにもとづいてすばらしい演奏と生き様を残した亡きJerryに思いを馳せる。でも彼らのことが音楽専門誌で特集される日は来ないだろうな。