headset
グーたらな一日。唯一のヘッドホンがほぼ壊れかけているので、新しいのがどこからか降ってこないだろうか、希望はSONYのMDR-7506なんだけど、などと空想しつつ。ノーベル賞を受賞したというニュースを聞いて、昔買ったクルーグマンの本を引っ張り出して読んでいる。こういう翻訳を痛快とか表現するんだろうな。分かりやすいとは思うけど。イタリア、セリエAだとマテラッツィのインタビューなどがこのテイストで訳されることが多い感じ。
October 21, 2008 No Comments
compass
昨日の夜からずいぶんと涼しい、裏の竹やぶの方からは相変わらずセミの鳴き声が聞こえてくるけれど。夜勤からの帰り道、コンビニで買い物して出てきたところで、目の前で鳥の羽ばたきを感じた瞬間、鳥のフンを右肩に受け止めた。私のかすかな記憶によれば、子どものころに一度カバンに喰らったことがあったような気もする。人生で2度目。すぐに気がついて、ウェットティッシュ(最近は脂ぎった顔面を拭くのに適したものを携帯しているのだ)で、すかさず拭き取る。肩にフンを乗せたまま電車に乗ってしまう事態はどうにか避けることができた。それにしてもスゴイ確率だ。世界全体では1日に何人くらい鳥フン被害者が出てるのだろう。
8/20朝日読売新聞朝刊に掲載されていた是枝裕和監督のコラムは、倉敷保雄アナのスポーツ報道に関するエッセイ『スポーツ中継を殺す「放送の独占」と「過剰演出」』(日刊サイゾー)と基本的には同じ。伝える人間に関するクオリティ・コントロール。少し長いけど引用。
テレビの仕事をする上で大切なのは口ではなく、目と耳であると、昔先輩に教えられたことがある。対象のそばでじっと凝視し、その声に耳を傾けること。共感は必要だが、一体化は批評性を失う。対象になりかわって伝え手が雄弁に語ってしまうと、逆に彼の内部に無口に存在していたドラマは、死ぬ。伝え手が感動を口にし、涙を流した瞬間に、テレビの前の視聴者は逆に自らの目と耳をふさぐのだ、と。これは倫理ではなく、テクニックの問題である。
さすが映画監督、表現がナイーブ。だが、最後にキツイ言葉で締めくくっている。
伝える側が優れたコンパスと目と耳を持たなければ、祭りの素晴らしさはすぐに偏狭なナショナリズムと陳腐な浪花節にその姿を変えてしまうだろう。
こういう記事が全国紙に掲載される時代になってきたんだなあ。「祭り」とはもちろんオリンピックのこと。一方でナショナリズムのどこが悪い、という意見も声高に叫ばれているような気もするが・・・。是枝監督や倉敷アナの意見が、偏狭ナショナリズムとチンプ浪花節の前に消えてしまわないよう祈ろう。
August 22, 2008 No Comments
rider in the rain
もう入梅かと思わせるような天気がここ2、3日続いている。すっかり自転車通勤もご無沙汰なのだ。とはいえ私の住んでいる町には、雨だろうが晴れだろうが関係なく自転車移動する人が多い。おそらくそれほど長い距離にはならないからだろう、たとえ雨の日だって傘を片手に町を走り抜けてゆく。私が通勤でロードバイクに乗る際には、安全のため往路復路ともに晴れてることが条件だけれど、電車通勤で駅まで行くときは帰り道に雨が予想される場合でも、いちかばちかチャリで移動することもある。そして、予報どおり期待を裏切る雨になったら、もちろん傘を差しての走行となる。それは自転車のタイプによっても違ってくるだろうが、前傾姿勢をとる私のマウンテンバイクもどきに乗るときかなり危険だ。泥除けもついてないから、あまりスピードを出しすぎると背中や股間に見事な泥水ラインを作ることになる。そんな危ない運転だが傘を差してないよりはマシなのだ。
2005年8月、再結成したBlack Crowesはサンフランシスコのフィルモアで3日間コンサートをやっていて、そのフル音源がEtreeにあった。当時ダイジェストのDVDも出てたみたいですがノーチェック。最終日はJerryの10周忌にあたる8月9日で、オープニングはHe’s Goneでした、やるなあロビンソン兄弟。
May 30, 2008 No Comments




