Bent my ear to hear the tune and closed my eyes to see

Strong taste

相変わらずペギー・リーにぞっこんなのだ。1957年、デッカから再びキャピトルに戻って最初のアルバムがこの「The Man I Love」。

オーケストラ・アレンジはネルソン・リドル、指揮してるのがフランク・シナトラという、当時絶頂期にあったコンビのバックアップ。内容はといえば、これはもうペギー・ファンの試金石、じゃない踏み絵といってもいい。無理に形容すれば、全曲大トロの蜂蜜漬け。収録曲はどの曲も素晴らしい。ヴォーカルはもちろん、アレンジ、演奏、どこをとっても最高である。ただ、全体のテンポがほぼ同じ、逆ラモーンズ状態。そして一曲だけでカロリー十分なのよねー、全曲通して聴いたら鼻血を出してもおかしくない。どんな楽曲でもこなせるペギーなのに、どうしてこんなスローでしっとりした曲ばかりでアルバムを構成したのだろうか。

The Man I Love

The Man I Love

1957年といえば、エルヴィスがエド・サリバン・ショーに3回目で結局最後となる出演を果し、グレースランドの家を購入して家族で移り住んだ年でもある。ロックが鎌首をもたげてきてた、いわばミュージック・ビジネスにとって大変動期に当たる。とはいえ、実質的な売り上げでいえばシナトラの方がまだ実績があっただろうし、ましてペギーのキャピトル復帰第1弾だ。「オレがDukeなら、ペギー・リーはQueenだ」とエリントン様がおっしゃってましたが、その女王様とチンピラ番長がプロデューサーを介さず作った、いわばクリエーターが好き放題にやった、この期に及んで許されないような孤高のアルバムだった、というのが私の推測。

正直ディープ・ペギー・ファン以外にはキツイかもしれない。一番最後に聴くことをお勧めしたい。でもオレにとっては身を投げ出すほど最高に痺れる一枚、鼻血出して倒れそうなくらいだ。

October 26, 2009   No Comments

One Step Beyond

歌手、ジョニー・テイラー1970年のアルバムである。96年に再発されてるから、おそらく10年ぶりくらいに私のライブラリーの中から発掘され、ハードディスクに収められた。

onestepbeyond

なかなか贅沢なセッションなのでメモっときます。バックトラックが録音されたのはマッスルショールズとスタックスの2箇所。スタックスのほうは当然のごとくMGズ参上で、マッスルショールズ側もエディ・ヒントンがリードギター、バリー・ベケットがキーボードとしてクレジットされとります。そいでもって双方にメンフィス・ホーンズが(おそらく)参加。おまけにプロデューサーはデトロイト・ソウルの御大ドン・デイビスでござる。当時の黒音楽業界超豪華キャストとでも申しましょうか。トリュフとフォアグラ、キャビアの盛り合わせ。でも、この盤そんなに知られてないし、わたしも存在を忘れてたのはなぜでしょうか。

ひとつには訴えるオーラが足りない、そんな気がします。仏作って魂入れず、とまではいかないけど、甘露が足りない。あ、でも私には堪らない名盤です。だってねえ、そりゃそうです。だから自分のライブラリーからこのCDを救出できたことが何より嬉しい、ってそんなのライブラリーと呼べるのか。いつかきちんと整理したいと思ってるのだけれど、結局全部PCにリップしたほうが楽かなとも。

そしてペギー・リーです。なんという歌声なのでしょう。このケダルイ、ヌケの悪いくぐもった感じ。もうずいぶんと彼女のCDを買ってませんでしたが、先日国立ユニオンで65年、70年に発表されたアルバムの2in1CDを見つけたので、ほんとうに久しぶりに聴いてみました。

PeggyLeeThenWasThen

相変わらずの唄いっぷり(当たり前ですが)に打たれました。そこで思ったのが、たいがいのPeggy Lee好きというのは、ちょっと変なんじゃないかということ。彼女の魅力じたいが、そもそも分かりにくい。人に説明するときに、ケダルさとか、ヌケの悪さとか言ってもねえ。これはもう、たとえばこの絨毯の手触りが好き、といった物理レベルでの心地よさとでも言いましょうか、あの声が鼓膜を振動させる仕方が好きなのだ、としか言いようがない。この声を見出して、それをマスプロダクションとして流通させることができたのは、プロデューサーの力量もあるでしょうが、当時のアメリカの底力なのだと思う。

October 4, 2009   No Comments

not my business

新聞の読み方がいつからか変わった。たまたま読売をとっているので、ほぼ毎日目を通していると「何だかなー」と思うことが最近多い。職場の近くのラーメン屋に置いてある産経はある意味読むたびに衝撃を受けるが、それとは違った意味であー保守的というのはこういう感覚なのかと思う。だいたい保守じゃないメディアなんて既存のマス・メディアにない。それが国としての成熟を表すのかどうか私は知らん。だいたい若いころはそんなことはよく分からないし、年をとったからといって、人を説得できるような説明ができるわけでもない。でも疑う気持ちだけは、しっかりと芽を出して幹を太くしてる。

ラジオの仕事をしていたころ、番組で読み上げる朝いちのニュースを並べるということもしてた。トップに何を持ってくるのかっていうのがその番組のスタンスを示すんだよ、みたいなことをプロデューサーに言われてたような気もするが、いまになってそう思って作り上げてる幻想なのかもしれない。私の場合はアホでポリシーなかったから、番組のカラー云々よりも、山葵みたいな事件をつまらん一般ニュースにいかに突っ込むかということに専念してた気がする。いまから考えるとけっこうな数の人が聴いてたわけだから、それなりに影響はあったのかもしれないのにね。

APとかロイターとか日本のメディアとは基本的なスタンスが違う。海外で中心に扱われているニュースが日本でも訴求するってことは、よほどのビッグニュースでないかぎりありえない。チャンピオンズ・リーグとかツール・ド・フランスがいかに欧州でステイタスがあるといっても、日本で扱われるのは中村俊輔が得点したとか、別府が敢闘賞もらったとか、そんなことがあったときだけ。それでもTVの一般ニュースで扱われる時間はたかが知れてる。すくなくともサッカーは世界的なスポーツビジネスになっているというのに。

そんなことを感じて憤慨してたこともあった。でも世界的なことなんてどうでもいいんだよね。要はビジネスとしてペイするかどうかが大事。別にそれは寂しいことではない。日本国内でビジネスとして成り立つスポーツがプロ野球だとしたら、メディアが中心に扱うのは当たり前だし、それで食べていける人の数とマーケットの規模がつりあってれば問題ない。しかし国際的にみて競技人口が恐ろしく限られてると思われるゴルフがオリンピック競技になるんだから、もうワケわかんないぜ。いったいどんな金が動いてるんだよ、なんて考えてしまう。

だから「今こそマルクスを読み返す」by廣松渉なのだーね。面白いよーこの本。興味深いのは人間を人間たらしめていることについて、池谷裕二が「進化しすぎた脳」で言ってることと、マルクスが言ってたことがほとんど同じってこと。最先端の脳科学とマルクスの考えがシンクロしてる。ホント同じ、言葉って大事なのよ。ただ、オレにはちと難し過ぎるので、ジェリー・ガルシアを聴くことにする。ジェリーがたどってきた足跡をたどることが、いろんな問題にとっての解決策だと思うんだけどなあ。ああ、オレはすっかりDead Headになってしまったのか。

September 7, 2009   No Comments

História do Brasil

たまたま図書館の新刊コーナーに並んでいた金七紀男著「ブラジル史」。読めなくても、パラパラ眺める程度でもいいや、と思って借りてみた。意外と言っては著者に失礼かもしれないけれど、面白い。ブラジルに最初に到達したヨーロッパ人はご存知のとおりポルトガルのプロデュースで、彼の国が派遣したペドロ・アルバレス・カブラルのチーム。あの有名なバスコ・ダ・ガマのインド到達ツアーに次ぐ、第2弾インド・ツアーとなるはずだった西暦1500年、なぜかブラジル沖に到着。そしてカブラル大将はこの地を「ヴェラクルス島」と名付ける。根拠はこの本に書いてありませんでしたが、ブラジルはもしかするとヴェラクルスだったのかもしれないのです。

ブラジルの特産品といえば、コーヒーというのが私のイメージですが、カブラル大将が到達してからメインとなったプロダクトは「パウ・ブラジル」という樹木。コイツの心材が赤の染料剤に利用されるということで、毛織物業が盛んだったフランドルに輸出されたそう。年間1200トンだと大した数字には聞こえませんが、時代が16世紀なので、そんなものなのかもしれません。重要なのは、このパウ・ブラジルが特産ということで、彼の地の呼び名がヴェラクルスからブラジルに変わったということでしょう。土着の名前だったのかもしれませんが、これが「パウ・フンドシ」とかだったら、レアル・マドリのカカはフンドシ代表、ブラジリアン・ミュージックといわれているのがフンドシリアン・ミュージックということになったかもしれない、などと下らないことを考えて、夏のある暑い日に私はひとりほくそえみながら駅の階段を下りてました。

ちなみに、パウ・ブラジルの後に続くブラジルの特産品は、砂糖、金、コーヒーだそう。

NHKで井上陽水の特集を放送していたけれど、彼が70年代に大麻を吸って起訴され執行猶予の刑を受けていたことはまったく触れられてなかったのが気になった。小学校のころからその歌声に魅了され、中学のころには毎日自室でフォークギターを抱えて、1曲歌い上げてから登校していたアタシとしては、当時かなりショックを受けたニュースであり、陽水に対してその体験が及ぼした影響を知ることができるのかと期待していたが、まったくのスルー。リリーフランキーと対談してる場合じゃないだろ、と思った。ノリピー、お塩の覚醒剤服用のインパクトがNHKに余計な配慮をさせたのかもしれないが、今回のエディットによって、図らずもこの作品は後世に残るものにならなくなったと思う。陽水原理主義的なファンとしてはまったくもって残念だけれど、これが世の中の流れなのかもしれない。本人インタビュー含め、とにかく浅い。

ちなみに、わたしの陽水ベスト・トラックは清志郎との共作、星勝アレンジの「帰れない二人」。

August 27, 2009   No Comments

That’s What Love Will Make You Do

ことしのツール・ド・フランスは、堪能とまではいかなかったけれど、それなりに楽しめた。先日ドーピング検査陽性のニュースが出たものの、期間中じゃなかったせいか、それほどインパクトがなかった気がする。仕事終わって帰ってきて、リラックスしながらツールのステージを観戦する、なんという贅沢。選手たちは期間中、ほぼ毎日走り続けるので、その疲労とか消耗とか半端ないだろう。それでもピレネーを登り、アルプスを登り、平坦地は時速40、50キロとかで駆け抜ける。3週間のうちに3500キロって、並みの人間じゃない。わたしが同じ距離を走ろうと思ったら半年以上かかる。しかも平坦地のみで。

それで想起されたのがジェリーのこと。沢田研二ではなく、ガルシアの方。最近Jerry Garcia Bandの1978年に行われたライブの全録音をコンプリートシェアしようというプロジェクトが進行中で、先日その第1弾が公開された。1978-02-18> 1978-03-16という期間で9.46GB。全部で25GB前後という膨大な量だ。このおっさんはGrateful Deadという怪物バンドのリーダーでもあるわけだが、その活動とは別に自分のバンド、そのほか時間の許す限りあらゆるセッションに参加していたツワモノ中のツワモノ。しかも78年は前年の映画制作時から常習しはじめたクスリの影響下にあったはず(このころのドラッグへの没入が彼の寿命を縮めたとわたしは解釈してる)。そんななか80年代前半には徐々にパフォーマンスの質を落としていったらしいのだが、78年時点での演奏を聴くとそんなことは微塵も感じさせない。むしろ最近のわたしのお気に入りでさえある。これはいったいどういうことなのか?当時の録音を聴くにつけ、「ジェリーは常人じゃない」感は高まるばかりである。最近のツールではドーピングした選手は資格を剥奪されるが、ドーピングしまくったジェリーがステージ出入り禁止にならずにホントによかった。結果的に彼の音楽人生を縮めることになったとしたら残念だけれど。

彼の命日に。

http://en.wikipedia.org/wiki/Jerry_Garcia

August 9, 2009   No Comments