Tweets on 2009-08-06

  • 夜勤明け、神田駅まで歩いているところ。さっぱりしない空から雨粒 #
  • かつやで朝メンチカツカレーを頼む #food #
  • 新宿ヨドバシでケータイのACアダプタ購入。けっこうポイントたまってた #shopping #
  • ついにDorival Caymmiボックスをゲット、しかも10%引き。マディ箱以来だ、こんな枚数多いの。ユニオンの策略にハマってるオレ #shopping #music #Brazil #
  • あまりにも暑いので缶ビール買う #shopping #drink #
  • 犬の散歩中。暑いのに元気そうだ #dog #
  • 次男が部屋でカブトムシのフン拾いしてた #photo
    http://f.hatena.ne.jp/twitter/20090806121933 #
  • 家カレー食べて、くつろぐ。これから仕事なのだ #food #

Ambarvalia

夏風邪をこじらせてから肩こりになって、それが首の痛みに発展していた近頃、あることをきっかけにそれらの痛みからすっかり解放された。何のことはない、単に姿勢を正しく保つこと。自宅でも職場でもPCに向かう時、あと電車に乗って移動するときなど、どうも猫背で足を組んでみたり、変な姿勢でカラダによくなさそうな感じはしてたのだけれど、つい癖になっていた。それで、寝転がっているときにも首の痛みがひどく、つらかったので、ためしに寝たまま背筋をピンと伸ばしてしばらく横たわっていたら、その後がずいぶん楽になっていた。そのときは呼吸にも気をつける、とくに息を吐くとき、腹式呼吸を意識する。お、これは!と、その後は起きて歩くときも作業時、テレビを眺めるときにもなるべく姿勢を正していたら、肩こり、首の痛みはすっかりなくなってしまった。んーこんな簡単なことで。もともと人生で肩こりという現象をほとんど感じたことがなかったので、最初は冷房のせいかと思っていた、それも一理あると思う。カラダが必要としている以上に冷やしたために、冬の寒いときに身を屈めるように、知らないうちにおかしな姿勢になっていたのだろう。年齢とともに体力が落ちてくると、そんな些細なことで身体の中の管みたいなものが曲がったり、ゆがんだりして思わぬ不具合を生じさせることになるのではなかろうか。

毎回硬軟取混ぜ、興味深い記事を提供してくれる「極東ブログ」は、いつもチェックしているサイト。そこで「崖の上のポニョ」レビューが投稿されてた。先月鳴り物入りでDVD化されたばかりだから、見てる人も多いと思う、映画を。ちなみに私は子どもたちと映画館で見た。そのときは宮崎駿入門にはもってこいなんじゃないかという感想を持ったけれど、Finalventの手にかかるともっと深い、ずっと深い作品ということになる。詳しくは本稿に任せます。わたしがこの記事で引っかかったのはポニョとの比較で紹介されていた西脇順三郎「旅人かへらず」という作品のこと。

Finalvent曰く

個人の人生に出現する具体的な体験の情感を、その具体個物から共有的な無意識に移し、瞑想的に深遠なるものを暗喩する手法である

ポニョを見て西脇を想起したそうだ。んーいったいどういうことなのか、一度読んだだけでは分からない、気になる文章である。

というわけで夜勤明けに神田駅前の啓文堂で購入した。戦前に書かれた「Ambarvalia」、戦後の「旅人かへらず」が一緒に収められて、発行当時のカバー写真のほか、新倉俊一による簡単な評伝と年表も収録している充実した内容だけれど、わずか230項ほどの文庫本に1,300円とは文字通り破格。日本の詩に与えた影響が大きいとか知らなくても単純に楽しめそう。さっそく、見つけたオモシロフレーズを抜書き。

脳髄は塔からチキンカツレツに向つて永遠に戦慄する

ナンノこっちゃ。1930年代にこんなこと書いてたなんてスゴ。

Tweets on 2009-08-05

Tweets on 2009-08-04

hierarchy

相変わらず橋本治の「窯変 源氏物語」を読み続けている。ここ最近は「松風」。前にも書いたけど、ほんとに日本の社会、とくにセレブな世界では何百年も同じことやってることがよーく分かる。そして日本の芸能界みたいに、いったいこの人たちはどうやって食い扶持を稼いでるの?ってヒトばかり出てくる。昔の皇室は権力闘争の場であるから、かなりエグい。ただ、いまの皇室のクローズドさ加減に比べたらずっと開かれていて、それだけ才能のあるひとたちが集まっていたんじゃなかろうか。短い期間に次から次へと帝が交代するのも、ある意味健全。とくに外敵が近くにいない場合には。

光源氏は正式には皇室のメンバーではなく、ただの高級官僚だから、そういった交代には関係ないはずだけど、それでも政争に巻き込まれて須磨に飛ばされ、寂しくて泣いたりする。それまではずいぶんと達観した人物として描かれていたのに。それほど自分の持ってる官位をすべて剥奪されることは、たとえ荘園からの上がりがあって生活に不自由しなくても、死刑にも値するほどの仕打ちだったことがよく分かる。フィクションとはいえ、ステイタスがなければ人間じゃないみたいなのは、当時の常識だったのだ。そう考えると引きこもり、ニート、オタクなど、どんな人間にも何らかの肩書き、位階が考え出されてるのを眺めていると、文字通りそのひとの状態を表すStatusを与えているだけなのに、あいかわらず階級で差別することをやめられない社会に見えてくる。それがインドのカーストだと固定されていて、日本だと変動するというだけの違い。それとも人間という存在、社会の本質がそういう差別化にあると言われれば、あ、そうですか。というだけだが。